2016-01-01から1年間の記事一覧
同人誌『ロクロク』を先月から何度か取り出しては読んでいる。若い世代の同人誌はよく見かけるが、四十代前後の女性歌人ばかりの同人誌は初めて手にした。こんな集まりが可能だということに気づかされ、新鮮な刺激を受けた。 後書きにはこうある。 全員が結…
さざなみを立てて過ぎゆく歳月を南天は小さく笑つてみせた 阪森郁代の歌を読んでいると、日常の重力から脱けて外側に出たような不思議な明るさがある。それは、どちらかというと反私性の方向へむかう詩情から感じる軽やかさかもしれないし、またその思索的で…
⑬ 『恋衣』の歌人 (『帝国文学』明治38・2・10) 山川登美子は感情の灼熱においても文学の駆使においても、さほどえらき歌人にあらず。特に空想の貧小なるは憐れむに堪えたり。彼女の歌は多くの点において乱れ髪を小規模にしたるやの観あり。換言すれ…
近代短歌を読む会 第六回 「山川登美子歌集」(岩波文庫) ◎出席者の選んだ歌より 1わが胸のみだれやすきに針もあてずましろききぬをかづきて泣きぬ うつくしき蛾よあはれにもまよひ来ぬにほひすくなく残る灯かげに おつとせい氷に眠るさいはいを我も今知る…
いつの日か失くせし磁石も文鳥もみつかりさうな森のふところ 小黒世茂の歌を読んでいるとなんとも心地良い。小刻みな現実の時間から解き放たれて、大きくて深い世界に包み込まれる。小黒の歌はいつでも命の根源にまっすぐに向き合って存在そののものを鷲づか…
「空はともだち」はスリリングな歌論だ。高柳は膨大な短歌のデータベースを扱うことで、歌を解釈することにおいて、歌人の個別性を越えていく方法を編み出す。そして、短歌に登場する語彙に徹底的に拘ることで、言葉に託される叙情の普遍性と限界にせまろう…
明治43年 1月1日『独り歌へる』出版 明治41年4月から42年7月まで 551首 3月 雑誌『創作』創刊 4月 歌集『別離』出版 5月 小枝子に女の子が生まれる。庸三との子ではないかとの疑念にさいなまれる。 千葉に里子に出されるが、養育費を払わね…
第5回 若山牧水 『別離』 〇 参加者の三首選より 摘みてはすて摘みてはすてし野のはなの我等があとにとほく続きぬ 健やかに身はこころよく餓えてあり野菊のなかに日を浴びて臥す 彼の国の清教徒よりなほきよく林に入りて棲むまむとおもふ 晩夏の光しづめる…
第4回 前田夕暮『収穫』(明治43年刊) 〇参加者の3首選より 木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな 一の吾君を得たりとこをどりす二のわれさめて沈みはてたる 夜の空に鐘鳴る、街は死せるごと凪ぎたり君はわが前に泣く 水の上を遥あ…
遺伝子の舟と呼ばれし肉体を今日も日暮れて湯船に浸す 森垣岳の歌を読み、不思議な感覚を味わった。歌集に収められている多くの職場詠、そして父親との軋轢、あたらしい家族との交流、それらはたしかに境涯詠であるのに、境涯詠につきものの湿っぽさがまるで…
自転車で走るはやさで台風はやつてくるとふ たのしさうだな 西橋美保は兵庫県姫路市在住で「短歌人」所属の歌人である。この歌集は第二歌集ということである。 西橋美保のうたいぶりは自由でいきいきとした表情がある。だから、この歌集が一七年もの歳月が…
雨ののち冬星ひとつ見えており何の星座の断片かあれは うちがわを向きて燃えいる火とおもう ろうそくの火は闇に立ちおり 磔刑の縦長の絵を覆いたる硝子に顔はしろく映りぬ 錆ついた窓から見える風景だ どうしたらいいどうしたら雨 巻頭の連作をそのまま引い…
はね橋の近くの画家は待っている見えないものが渡りきるのを 泰洋 橋をこえ野をゆく風の絵筆そして ざわめきやまぬ麦畑かな かずみ 短歌両吟「類人鳥」は歌人の野樹かずみと詩人蝦名泰洋との合作の歌集である。このように二人で詠みあうのを両吟ということを…
店先に盛られし蜜柑の一山にあつまりてゐる日暮れのひかり 端正な文体のなかに透きとおるような清冽な詩情が流れる。歩きながらふと目にした一山の蜜柑にもひかりは当たり、そこに時間が生まれることで蜜柑は存在感をもって読者のまえに美しく差し出される。…
第3回 若山牧水「死か芸術か」(大正元年刊) 〇参加者の3首選より 雪ぞ降るわれのいのちの瞑ぢし眼のかすかにひらき、痛み、雪降る 糸のごとくけむりのごとく衰へしわれの生命にふるへて、雪降る 旅人のからだもいつか海となり五月の雨が降るよ港に 海よ悲…
「カイエ」4号を熟読した。多彩な作品群は詩的なイメージを美しく立ち上げており、魅了された。また、巻末の西巻真の評論も読み応えがあった。 特に印象に残った作品から述べてみる。 とみいえひろこ あああなた、そんなふうに床を拭いては 金色橋がひたさ…
先を行くあなたに従ふ森の奥なつうぐひすの声がするのみ 恒成美代子『秋光記』を再読した。家族とすごす日々、とりわけ介護する母とのやりとり、そして歌人としての多忙な日々、そうした日常を細やかなタッチで、そして安定感をもって描いてゆく。読んでいて…
第二回 石川啄木 『一握の砂』 抄出された歌から 誰が見ても われをなつかしくなるごとき 長き手紙を書きたき夕 いと暗き 穴に心を吸はれゆくごとく思ひて つかれて眠る まれにある この平なる心には 時計の鳴るもおもしろく聴く するどくも 夏の来るを感じ…
〇 はじめに会について 2010年代にはり、歌が近代短歌がえりしているということが指摘されるようになった。 そういう論調には「近代短歌」を乗り越えてきた現代短歌の地平からみたとき、それでいいのかという懐疑にたっているように思える。また、今の混…
通過する駅の名前をどうしても読み取れないまま雨になります 蒼井杏の歌はいろいろ楽しみ方があると思う。飛躍してゆくスピード感や、イメージの鮮やかさ。また、過剰なほど繰り出されてくる言葉が生み出す弾むリズム。あるいは意味から自由になった音韻の楽…
ゆるしあうことに焦がれて読みだした本を自分の胸に伏せ置く ことばっていいなあと虫武一俊『羽虫群』を読みながらつくづく思った。言葉にしたとき、最初の意味は変わってしまうというけれど、それでも世界とゆるしあうことを拓くのは言葉なのかもしれない…
花終へてなほ匂ひ立つラベンダーは庭草を引くわれのかたへに 水甕叢書に入っている藤川弘子の『夏の庭』は初夏の風が吹き渡っているようなみずみずしさが溢れている。一首、一首を呼吸するように無理なく歌い上げている。修辞にあまり心を砕かず、率直な歌い…
『灯船』第2号を読んだ。まず、藤野早苗の時評「詠まれたもの、読んだもの」に注目した。藤野はラカンの文章を引きながら短歌の口語化に警鐘を鳴らす。 実は「わかる」ということはコミュニケーションの可能性を閉じることに危険を孕んでいると言っているの…
先日、知人から大阪文学学校の機関誌『樹林』六月号をいただいた。そこに掲載されている川端柳花『おとうと』を読み、長くその印象が消えることがないので、少し感想をまとめておこうと思う。 知覚は世界との媒体と言われるが、本当はそうではなくて世界そ…
束ぬるに余る野の花著莪を賜ぶ七日八日に咲きつぐほどを 「未来」のベテラン歌人、米田律子の歌を読んでいると、しずかに流れる時の香りが立ち上がってくるように感じる。些細な日々の出来事を掛け替えのないものとして惜しみつつ懐深くに受け入れる。その澄…
赤土の遙かなる道バスがゆくパンタナールの風わたるなか 玉川裕子は『未来』歌友である。短歌を詠む玉川は、同時に珈琲を心から愛してやまない愛好家であった。その珈琲への愛が玉川裕子を単身ブラジルへ渡し、そして堂々としたプロのコーヒー鑑定士にして…
「昭和十九年の会」の存在は知ってはいたが、どのような活動をしているのか全く無知だった。このたび、『昭和十九年の会アンソロジー モンキートレインに乗って72』が上梓された。大島史洋のあとがきによれば、昭和十九年の会は、昭和十九年生まれの歌人の…
生田よしえは1939年生まれ。1987年に結社『水甕』に入社している。兵庫県を代表する歌人である。 生田よしえ『ふたたびの円』を再読した。あとがきをみると第一歌集から十八年ぶりの第二歌集ということだ。およそ二十年の歳月がこの一冊に封じられて…
京大短歌22号を読んだ。今回、「京都歌枕マップ」という企画を注目して読んだ。鴨川から始まって、同志社大学、寺町通り、出町柳、京都駅など、いわゆる名所ばかりでなく、京都で学生生活をおくる若者達にとってなじみの深い地名が歌と一体になって紹介され…
大森静佳が「梁」に連載している『河野裕子の歌鏡』が第五回になり、いよいよ佳境に入ってきた感がある。前回の評論あたりから、初期のやや観念が先に立つ歌風からしだいに口語を取り入れつつ、平易な歌風へと移行するその軌跡を追ってきた。同時にものの内…