眠らない島

短歌とあそぶ

西橋美保  第二歌集 『うはの空』

 
自転車で走るはやさで台風はやつてくるとふ たのしさうだな    
 
西橋美保は兵庫県姫路市在住で「短歌人」所属の歌人である。この歌集は第二歌集ということである。
西橋美保のうたいぶりは自由でいきいきとした表情がある。だから、この歌集が一七年もの歳月が詰め込まれている重さを感じさせない。もちろん、実生活では誰しもあるように気鬱な現実と直面してきたことであろう。しかし、それを西橋はうまく言葉で浄化してゆく。言葉にすることで実際の自分をうまく救いだしているのかもしれない。現実との距離のとりかたが実に上手いのだ。
 
花束の花ふりこぼしふりこぼしいろんなことをあきらめてきた   
われの棲むマンション八階うはのそらまことにわれはうはの空に住む 
 
一首目には、そう甘くない人生の行路がうつくしい比喩で詠まれている。この歌であっても口語体にすることで、深刻になりそうな内容をうまく処理している。また、二首目は、歌集のタイトルにもなっている作品だが、ここには作者の身の処し方が実に率直に歌われている。「うはの空」とは、何度も繰り返すが日常の世界との微妙な距離感をいうのだろう。このバランス感覚が歌集全体の見通しのよい明るい世界をつくりあげている。ここには自分の美意識にかたよるかたくなさや、言葉への過剰な思い入れが外されている。その自在さが人なつこい作者像を作り上げ、歌集の読後感を気持ちのよいものにしている。
 
このやうに未来はいつもやつてくる「冷やし中華はじめました」   
遺骨抱きくだる山道夏の道ゑんそくのバスとすれちがひたり    
 
この作者の資質のひとつとして言えるのはこうしたユーモアのセンスであろう。この軽妙さは、そう簡単に身につくものではない。一首目は、かるく詠んではいるが、時間の流れへの透徹した見方がある。これだけシンプルに時間感覚を詠めることに驚く。また、二首目にしても、状況はまったく笑えない背景があるのに、そういう状況もすべて抱き込むようなおおらかな感情がこの場面にひかりを当てている。
 
ぢつと手を見しとふ啄木その爪のぞんぐわい奇麗でありしか啄木   
ああ空が落ちてくるぞと杞の国のひとは泣きしか秋うつくしく   
 
こうした歌からはこの作者がどれだけ常識的な思考から解き放たれているかがよく分かる。一首目は、そういう意味では批評性もあって実に鋭いと思う。二首目も、杞憂という故事成語から、その意味を離れてこんなに想像力をふくらませることができることが正直に羨ましい。ユーモアも、距離感も、この作者の自由で多様なものの見方から生まれている。一首の完成度が高まればそれだけ、実際の感覚からはとおくなってゆく。この作者はあえて、完成度を求めず、自由で闊達な文体に接近している。多彩な表現にこころをほぐされるような心地よさがあった。
 
まいにちの日の出がそんなにうれしいか小鳥おもへば春はあけぼの