2018-01-01から1年間の記事一覧
ここにゐないひとの上着の両腕が椅子の後ろに結ばれている この歌を「未来」で読んだとき立ち止まって素通りできなかった。オフィスではよく上着をこうして袖を椅子に括りつけて収めている人がいる。この歌では上着の袖と云わないで「両腕」ということで、上…
松村正直さんが西宮で開いている歌会の冊子がとどいた。「パンの耳」1号。14名のメンバー、それぞれの表現の多様さにおもわず引き込まれ、読んでしまった。15首の連作の中から、おひとり一首ずつ紹介します。 添田尚子 鉄瓶のお湯がふきこぼれるほどの…
「ベラン3号」が届いた。開けば掌に翼をひろげた小鳥ほどのサイズ。30分もあれば読み切れる。 このところ短歌がなんだか重くて、少し離れていたいなんて思っていたから、「ベラン」は実にありがたい。言葉の軽い翼で20メートルほど飛翔させてくれる。そ…
くらぐらと水落ちてゆく 側溝に赦されてあるような黒い水 この歌に出会ったとき、都会という空間がなまなましく立ち現れ、そこでうごめいているわれわれは「赦されてある黒い水」なんだという妙によろこばしいような実感をもったことを記憶している。この歌…
これ以上ない完璧な輪郭を生み出すことからはじまる仕事 千原こはぎさんのプロフィールにはイラストレーター、デザイナーとある。高校に勤めていたころ、女子高校生のなりたい職業のベスト3には入っていた気がする。それくらいだから、私にとってもなんとな…
あれは滝を見にゆく人の列そしてこれは遠くから見るぼくの夢 辻聰之の第1歌集が出た。ひそかに待ち望んでいた歌集である。辻の歌が好きで、その良さをどう伝えてよいか困ってしまう。軽快でエスプリが利いているけど、ひけらかさない。大きな声では主張せず…
山本夏子の歌にはゆるぎのない芯のようなものがあって、読んでいてここちよく信頼できる気持ちがする。新しい歌が溢れる中で、技巧に走るでもなく、奇想をとりこむでもなく、題材に凝るわけでもない。ふつうの生活をふつうの素直な文体ですくいとる。それで…
今回は北原白秋の『白南風』を読んだ。この歌集は『雀の卵』以来十三年ぶりの歌集であり、昭和9年に出版された。この間、未完の歌集をふくめて、詩集、童謡、随想など多数の創作を行っている。白秋の旺盛な創作意欲は昭和にはいっていよいよ高まり、相当な…
ぶだう食べてゐればぶだうを食べるしかできずに秋の日を跨ぎたり 山下翔の作品にはヒューマンなぬくもりがあって何十首つづいても引き込まれて、読んでしまう。それは、連ごとにストーリーが仕掛けられていて、その主人公をつい深追いしたくなってしまうから…
「柊と南天」1号を読んだ。 0号を読んでからもう一年。着実に前に進んでいる感じが羨ましい。 この冊子は塔の中の結社内同人誌。前回は5名の作品で今回は11人 塔は1000人を超す結社だから、なかなか目をとおして読むことは難しい。名前を知っている…
狂うのはいつも水際 蜻蛉来てオフィーリア来て秋ははなやぐ 歌集を読み始めて、深く掘り込まれた奥行きのある歌に揺さぶられるような眩暈を覚えた。歌の数は240首と多くはないのにその重量感は圧倒的だ。一首ずつに、陳腐な言い方をすれば魂が捻じ込んで…
去る5月19日(土)に、兵庫県歌人クラブ主催によって、岩尾淳子「岸」、伊藤敦子「蝶道」の合同批評会が行われた。司会は尾崎まゆみ。「岸」のレポーターは小黒世茂、「蝶道」のレポーターは黒崎由紀子。それぞれふたつの歌集についてコメントを行った。 …
この会を始めて、二回目に白秋の「桐の花」を取り上げた。あれからもう二年。今回からふたたび白秋に帰る。 北原白秋は私の恩師だった米口実の師だった。米口先生は、おりおり白秋のことを語ったけれど、それはなかなか複雑な思いだったようだ。あるときは、…
昨年の秋から読み継いできた斎藤茂吉も今回で最後。なんだか名残惜しい気がする。どの歌集にも秀歌があるが、私としては昭和にはいってからの歌集が断然おもしろいように思える。「赤光」は感覚的な歌には引かれるが、「死にたまふ母」や「おひろ」あたりは…
今回は、前回の反省にたち「白き山」一冊に鑑賞を集中することにした。「白き山」は茂吉64歳から65歳までの作品から構成されている。この2年弱の期間でありながら800首を超える作品を歌集に収めている。敗戦で意気消沈していたと言われる時期である…
大根ともっと仲良くできたらと思う炒めたりしないまま この作者はどこから言葉を出してくるのだろう、こんな素裸なままで。おそらくは言葉は選ばれているのではあるが、生な心とほとんど距離がない。まるで蒸留水のように無菌状態の言葉は、読むとそのまま読…
角田純が発行・編集をしている三人の同人雑誌「ベラン」2号が出た。やわらかなタッチの白い表紙。こぶりな雑誌を手にとると暖かな紙の手触りがする。小鳥をてのひらに載せたほどの重さか。 〇まず、米田満千子『風使いたち』からフレーズをひく。 ひるがえ…
山の深みに働きはじめしチェーンソー伐られゆくとき樹のこえ太し 短歌は叙情詩だということは自明のことのようであるが、その発生からみるとそうとも言えない面もある。大正のころ、さまざまな試みがなされるなかで、釈超空は短歌の叙事詩としての可能性を探…
ほつほつとはつなつに雨おちてきてないものをねだってもいいんだよ 2013年に、このブログで取り上げた『猫を踏まずに』がこの度は歌集としてまとめられた。前に、もっと本多真弓の歌をまとめて読みたいと書いたが、その願いをかなえていただいた。ボリュ…