近所のパン屋さんはとても人気があって、ときどき行っても長い行列ができているのでがっかりする。 今日は、買いに行こうって思わずに散歩しながら近くまでいくと、運よくすいていた。 パン屋さんの後ろには広いため池がひろがっていて、まわりを木立が囲ん…
今日は久しぶりにあたたかな一日。 冬の日差しを浴びた木がみたくて公園まで歩いてきた。 透き通るようなヒマラヤ杉がまっすぐに空を突き刺していて、おもわず天を仰いだ。 ひかりはくまなく地上にゆきわたっている。 永田愛の『LICHT』を開いた。LICHTはド…
ただ風に吹かれるという苦しみもあるのでしょうね煙草一箱 過ぎてゆくものに抗いもせずにただ見送るしかないとしたら、それを苦しみと名付けるとしたら、存在とはなんともやるせない。普通こういう文脈では、木がよく登場するけど、ここでは「煙草一箱」とい…
午後私はあまりに眠くもたれたき壁を探してゆるく歩いた 歌を読みながら、作者の体のなかに引っ込まれてゆくような、不思議な浮遊感をおさえきいれない。生きて蠢ている感覚をとおして繰り出される言葉が、読む方の表層の意識をはげしく揺さぶってくる。 巻…
松村正直さんが主催する「フレンテ歌会」。今年、三月に「パンの耳」創刊号の読む会に招いていただき、とても楽しい時間を過ごせて、いい思い出になった。次はどうかなと思っていたら、はやばやと2号が届いた。今回はメンバーの一首評もありさらに充実して…
むかしより加茂大橋のほとりには廃園ありてひぐらしが啼く 近藤かすみの第二歌集『花折断層』の世界は言葉の熱量がほどよく適温であり、心地よく読むものの感情に寄り添ってくる。過剰さが削がれ、押しつけがましい主張やこれみよがしの修辞、あるいは美意識…
「レダの靴を履いて」は2010年7月から、2012年6月までほぼ2年間をかけて筆者がブログに綴った塚本邦雄の歌についての鑑賞である。ひとつひとつのコラムにはみずみずしく季節が流れ、筆者の暮らしの時間や空間がほんのりと香っている。なんともゆ…
遠雷に微か震える聴覚のどこかにあわれバイオリン燃ゆ 五十子尚夏の『The Moon Also Rises』には多彩なノイズが溢れている。華やかな固有名詞の氾濫はこの作者が世界から聴き集めた美しいひかりの残響かも知れない。それは、世界をきららかに演出してみせる…
栞紐はねのけて読む冬の朝 歌はひかりとおもうときあり 加藤治郎の第11歌集『混乱のひかり』はタイトル通り、ひかりに充ちている。冒頭に引いた歌には作者の歌に託する希望がひかりを生んでいる。混沌とした現代社会の現状に言葉で切り込むように挑みつつ…
いはれなく街の向こうまで見えてくる さよならといふ語をいふときに 齋藤史『秋天瑠璃』 「近代短歌を読む会」も今回で23回になる。 今年の5月から齋藤史の『魚歌』、『ひたくれなゐ』を読み継いできた。今回はその三回目にあたり『秋天瑠璃』を取り上げ…
てのひらの奥に眠れるわがこころ呼び覚まさんと強くこすりぬ この歌集は2017年から2018年の2年間に総合誌等の発表された作品だけを収録している。短い時間のなかで集中的に作られた歌群はたがいに共鳴し合あうことで、濃密な情感を醸している。それ…
夕闇にジャングルジムはいくつもの立方体を容れて立ちをり 公園にさしかかったときだれでも目にするジャングルジム。子どもの遊具でありながらこれほど潔癖にその属性をぬぐい取られて、無機質に、そして美しく詠まれたジャングルジムの歌を知らない。ここに…
永田愛の第一歌集「アイのオト」は実にうつくしい。短歌を作ることと、生きることが重なる悦びをまっすぐに伝えてくれる。これほど構えずに読ませる歌集がこの時代に可能なのかと驚きもあった。最近、歌集を読むときには、どうしても発想の斬新さや、鋭い表…
泥濘に小休止するわが一隊すでに生き物の感じにあらず 宮柊二『山西省』 松村正直『戦争の歌』は、読むものに歴史ということに思いを深く向かわせる力をもっている。それは戦争とは、歴史とは、文芸とは何なのかという、絶えざる問いかけを重ねる粘り強い松…
ここにゐないひとの上着の両腕が椅子の後ろに結ばれている この歌を「未来」で読んだとき立ち止まって素通りできなかった。オフィスではよく上着をこうして袖を椅子に括りつけて収めている人がいる。この歌では上着の袖と云わないで「両腕」ということで、上…
松村正直さんが西宮で開いている歌会の冊子がとどいた。「パンの耳」1号。14名のメンバー、それぞれの表現の多様さにおもわず引き込まれ、読んでしまった。15首の連作の中から、おひとり一首ずつ紹介します。 添田尚子 鉄瓶のお湯がふきこぼれるほどの…
「ベラン3号」が届いた。開けば掌に翼をひろげた小鳥ほどのサイズ。30分もあれば読み切れる。 このところ短歌がなんだか重くて、少し離れていたいなんて思っていたから、「ベラン」は実にありがたい。言葉の軽い翼で20メートルほど飛翔させてくれる。そ…
くらぐらと水落ちてゆく 側溝に赦されてあるような黒い水 この歌に出会ったとき、都会という空間がなまなましく立ち現れ、そこでうごめいているわれわれは「赦されてある黒い水」なんだという妙によろこばしいような実感をもったことを記憶している。この歌…
これ以上ない完璧な輪郭を生み出すことからはじまる仕事 千原こはぎさんのプロフィールにはイラストレーター、デザイナーとある。高校に勤めていたころ、女子高校生のなりたい職業のベスト3には入っていた気がする。それくらいだから、私にとってもなんとな…
あれは滝を見にゆく人の列そしてこれは遠くから見るぼくの夢 辻聰之の第1歌集が出た。ひそかに待ち望んでいた歌集である。辻の歌が好きで、その良さをどう伝えてよいか困ってしまう。軽快でエスプリが利いているけど、ひけらかさない。大きな声では主張せず…
山本夏子の歌にはゆるぎのない芯のようなものがあって、読んでいてここちよく信頼できる気持ちがする。新しい歌が溢れる中で、技巧に走るでもなく、奇想をとりこむでもなく、題材に凝るわけでもない。ふつうの生活をふつうの素直な文体ですくいとる。それで…
今回は北原白秋の『白南風』を読んだ。この歌集は『雀の卵』以来十三年ぶりの歌集であり、昭和9年に出版された。この間、未完の歌集をふくめて、詩集、童謡、随想など多数の創作を行っている。白秋の旺盛な創作意欲は昭和にはいっていよいよ高まり、相当な…
ぶだう食べてゐればぶだうを食べるしかできずに秋の日を跨ぎたり 山下翔の作品にはヒューマンなぬくもりがあって何十首つづいても引き込まれて、読んでしまう。それは、連ごとにストーリーが仕掛けられていて、その主人公をつい深追いしたくなってしまうから…
「柊と南天」1号を読んだ。 0号を読んでからもう一年。着実に前に進んでいる感じが羨ましい。 この冊子は塔の中の結社内同人誌。前回は5名の作品で今回は11人 塔は1000人を超す結社だから、なかなか目をとおして読むことは難しい。名前を知っている…
狂うのはいつも水際 蜻蛉来てオフィーリア来て秋ははなやぐ 歌集を読み始めて、深く掘り込まれた奥行きのある歌に揺さぶられるような眩暈を覚えた。歌の数は240首と多くはないのにその重量感は圧倒的だ。一首ずつに、陳腐な言い方をすれば魂が捻じ込んで…
去る5月19日(土)に、兵庫県歌人クラブ主催によって、岩尾淳子「岸」、伊藤敦子「蝶道」の合同批評会が行われた。司会は尾崎まゆみ。「岸」のレポーターは小黒世茂、「蝶道」のレポーターは黒崎由紀子。それぞれふたつの歌集についてコメントを行った。 …
この会を始めて、二回目に白秋の「桐の花」を取り上げた。あれからもう二年。今回からふたたび白秋に帰る。 北原白秋は私の恩師だった米口実の師だった。米口先生は、おりおり白秋のことを語ったけれど、それはなかなか複雑な思いだったようだ。あるときは、…
昨年の秋から読み継いできた斎藤茂吉も今回で最後。なんだか名残惜しい気がする。どの歌集にも秀歌があるが、私としては昭和にはいってからの歌集が断然おもしろいように思える。「赤光」は感覚的な歌には引かれるが、「死にたまふ母」や「おひろ」あたりは…
今回は、前回の反省にたち「白き山」一冊に鑑賞を集中することにした。「白き山」は茂吉64歳から65歳までの作品から構成されている。この2年弱の期間でありながら800首を超える作品を歌集に収めている。敗戦で意気消沈していたと言われる時期である…
大根ともっと仲良くできたらと思う炒めたりしないまま この作者はどこから言葉を出してくるのだろう、こんな素裸なままで。おそらくは言葉は選ばれているのではあるが、生な心とほとんど距離がない。まるで蒸留水のように無菌状態の言葉は、読むとそのまま読…