眠らない島

短歌とあそぶ

虫武一俊 第一歌集 『羽虫群』


  ゆるしあうことに焦がれて読みだした本を自分の胸に伏せ置く    
 
 ことばっていいなあと虫武一俊『羽虫群』を読みながらつくづく思った。言葉にしたとき、最初の意味は変わってしまうというけれど、それでも世界とゆるしあうことを拓くのは言葉なのかもしれない。人をゆるすというよりも自分をゆるして解放させること、そして窒息しそうなこころに風穴をあけること。それはまさに言葉の力なのではないか。人見知りの男の子がたったひとりの力でひとつひとつ紡ぎだしたかがやく言葉の宝箱。巻頭にあげた歌はそんな歌を編み出したこの作者の素顔がさりげなくスケッチされているようでとても気持ちがいい。
 
  殴ることができずにおれは手の甲にただ山脈を作りつづける   
  くれないの京阪特急過ぎてゆきて なんにもしたいことがないんだ  
 
 この二首はこの作者の苦しくなるような内面を象徴していて印象的だ。
一首目には外界への激しい憎悪が鬱積しているし、二首目にはこれも現実の世界と自分との距離感に打ちのめされるような心情がよく読み取れる。
 しかし、ここで注目したいのはこの作者の修辞の巧みさだ。一首目では「山脈」という一語のみで、怒りの強さや孤独感、そして人間としての誇りのようなものまで言い表してる。二首目もとても単純な対比ながら、「くれないの京阪特急」がとてもよく利いている。特急に乗っている人と、そうでない自分のありようの落差を作り、下句の独白を支えている。
 
  ににんがし、にさんがろくと春の日の一段飛ばしでのぼる階段 
  鴨川に一番近い自販機のキリンレモンのきれいな背筋      
 
 こうしてみると、この作者の優れた言語感覚が言葉に命を吹き込んでいることがよく分かる。一首目、春の日の伸び上がるような雰囲気を「ににんがし、にさんがろく」というフレーズでさらりとつかまえている。これなども目立たないがなかなか出てこない音だ。二首目は、この歌集のなかでも最も美しいといえる歌に入る一首ではないかと思う。鴨川とキリンレモンの取り合わせが絶妙だし、「一番近い自販機」という切り取り方もわかわかしい感覚を感じる。そしてなによりも「きれいな背筋」できちんと抒情を立ち上げる力が見事だ。
 
  草と風のもつれる秋の底にきて抱き起こすこれは自転車なのか   
  口笛を吹いて歩けばここに野の来る心地する 果てまで草の          
 
 こうした卓越した言語感覚を持つ作者だから、言葉と内面とがうまく絡まり合うことは必然であったろう。一首目には吹き渡る風とかわいた草とあたたかな自転車とがあかるい秋の風景を形作っている。二首目の歌も美しい。「ここに野が来るここちする」というなんとも古典的な雅やかな響きが魅力だ。これからも、さらにゆたかな口笛を聞かせてくれることだろう。
 
 
   羽虫どもぶぶぶぶぶぶと集まって希望とはその明るさのこと