眠らない島

短歌とあそぶ

恒成美代子 第八歌集  『秋光記』


先を行くあなたに従ふ森の奥なつうぐひすの声がするのみ   
 
 
恒成美代子『秋光記』を再読した。家族とすごす日々、とりわけ介護する母とのやりとり、そして歌人としての多忙な日々、そうした日常を細やかなタッチで、そして安定感をもって描いてゆく。読んでいて、ああ生活するとはこういうことだなあと思わせられる。近しい人の死に遭遇してもこの作者の心の軸はぶれない。他者の姿をしずかな視線でながめ、そしてゆっくりと自分自身の感情に降りて行く。そのときに歌が生まれる。そうした見巡りの世界から、さらにもう一歩降りてゆく場所がある。そこはひとりの静謐な世界であり、そこから澄んだ詩情がこんこんと生まれてくる。
 
巻頭にあげた歌もそういう内面性を孕んでいる。孤独ではない。先にゆく「あなた」が見えている。だけど、自分を包んでいるのは森の静寂と、澄んだ夏うぐいすの声だけだ。こうして、現実の束縛から解き放たれる至福感にこの作者の詩情の本質があるように思う。普段は、様々な人に囲まれながら、あるいは雑用をこなしながら生きている。でも、ときどき、ふっとそういう世界から後ろに下がるのだ。すると別の風景がみえてくる。
 
そのやうにしか生きられぬ秋の虫 鳴くだけ鳴いて静かになつた  
たましひの底にははばたく小鳥をり 春になつたら飛んでもいいわ  
岸の辺の一樹映して泰然としかも澄みゐる冬の沼あり    
 
一首目、生きて行くことは思うにまかせぬ。しかし、自分の生き方をとおそうとすれば、痛みが伴う。実人生は葛藤の連続である。それを嘆くでもないし、悔やむでもない。なるがままに受け入れ、生きてゆく。充分な歳月を越えてきた果てに、おそらく静かになったのは作者自身の心だろう。二首目、この作者の好日性をよく表している楽しい歌だ。この作者のたましいには自由をもとめてやまぬ鳥がいる。この二首ともやわらかな口語体が使われている。内容と言葉とがふさわしく調和し、まっすぐに思いが伝わってくる。
三首目、この作者の矜恃がしっかりと立ち上がっている美しい歌だ。こうした精神世界が世の流れに右顧左眄しないこの作者の姿勢を支えているのだろう。澄み切った冬の沼が現実の世界に向けてひかりを放っている。こうして、うまく口語・文語を使い分けながら、思いや出来事といた様々な題材を詠み下していく流れは安定感がある。日常を低い姿勢で詠みながら、低調にならないのはこの作者のなかにいつも自由でありたいという願いがあるからだろう。それがこの歌集の品格を高いものにしていると感じる。
 
 
アカンサス咲く公園に立ち竦む希ひしやうに生きてゐるのか