眠らない島

短歌とあそぶ

蒼井杏 第一歌集 『瀬戸際レモン』


通過する駅の名前をどうしても読み取れないまま雨になります     
 

蒼井杏の歌はいろいろ楽しみ方があると思う。飛躍してゆくスピード感や、イメージの鮮やかさ。また、過剰なほど繰り出されてくる言葉が生み出す弾むリズム。あるいは意味から自由になった音韻の楽しさ。等々。その発想はどこかノスタルジックで懐かしい。
ところで、魔法のように言葉を操り、過剰なおしゃべりのように見えてしまう世界は、意外にシンプルで静謐なところに根っこがあるように思える。
 
巻頭に挙げた歌は一読したときから印象に残って、深く共感した。目の前を通り過ぎてしまう駅はこの世にありながら出会うことのないたくさんの存在のひとつひとつ。せめて、名前を知りたいと思うのに不思議に駅の名前は読み取れない。むこうは静止した世界であり、こちらは速度のなかの世界。どうしても届かない世界への愛惜がこの一首に籠められていて、澄んだ悲しみがまっすぐに伝わってくる。こうした体験はだれにでもあるのだけれど、そこにとどまることをつい忘れてしまう。世界はこんなにさみしいということを気づかせてくれるなつかしい歌だ。
 
百円のレインコートをもとどおりたためるつもりでいたのでしたよ    
あのひとをがっかりさせてしまったな 屈めばプラグにつもったほこり   
だってもう消えたい湯ぶね足首の靴下のゴムのあとをたどって     
やむをえぬ理由をさがしているときのわたしの眼球のうらは忙しい    
 
蒼井杏の歌は身近な所から始まる。空想的で、フィクショナルなようだけど、そうでもない。日常の世界にある題材からほんのすこし、こころを遊ばせることで歌が始まる。

 一首目。百円均一でかったレインコートだろう。しっかりと小さなパックに収められている。こんな小物でさえ、いや、そうだからこそ、いちど開いてしまったらもう元には戻せない。小さな喪失感を詠っているようで、存在の一回性に触れている。とても鋭い視点だと思うし、批評性も感じる。二首目は、蒼井作品によくみかけるある種の物語性が見えている。何か二人のあいだで祖語があり、そのドラマは隠されているが、肝心なのは、自分への失望感へと繋がってゆくことだ。これも人間関係のなかでよくあることかもしれないが、この把握は壊れそうに繊細な内面性が支えているように思う。そういうこころのありようが、三首目の歌にも反映している。「足首の靴下のゴムのあと」という微細なところへもっていくことで、心情をよりリアルに具体化している。巧妙な歌だ。そして、四首目、この歌には笑ってしまった。
 全く蒼井の歌は自由だ。そこにはこうした上質なユーモアが流れているせいもあるだろう。羨ましく思った。
 
転寝(うたたね)のぽとりと覚めてちらばったコピー用紙をひろうのでした    
 
 仕事中だろうか、転た寝から覚めた時のなんともいえない淋しさを下の句の動作によって見事にイメージとして立ち上げている。ここには手の込んだ暗喩も、言葉への圧力もない。天性の感覚でつかみ取った言葉があるだけ。とても自然で、ここちよい歌の流れがあり、生きている時間がある。それはいつかは無くしてしまうものだけど、その命への慈しみがどの歌にも流れていて、読むもののこころをそっと包んでくれる。こころやさしい歌だと思う。
 
 
わたくしのいちぶを風にかえすときななめにへってゆく靴の底