眠らない島

短歌とあそぶ

『パンの耳』2号

松村正直さんが主催する「フレンテ歌会」。今年、三月に「パンの耳」創刊号の読む会に招いていただき、とても楽しい時間を過ごせて、いい思い出になった。次はどうかなと思っていたら、はやばやと2号が届いた。今回はメンバーの一首評もありさらに充実している。


甲斐直子
銀紙をたくさんちぎったような海 いきなり大人になってはいない
足跡のむすうに残る砂浜にメリケンガヤツリ茎ほそく萌ゆ

〇1首目、過去と現在の時間を往還していて、こころが揺れている。下句のきっぱりとした言い切りに悔いのような痛みが込められて印象深い。

木村敦子
おのずからひとの踏み来し道ならむ浜へと続く海あかりして
暮れ方にひかりの帯を差し入れて橋を架けたり岸辺のわれへ

〇旅先の海辺だろうか。浜へ続く道が丁寧に描写され旅愁が漂っている。2首目、ひかりの橋がほのかな希望のようにも思える。

乾醇子
行く道は一つの流れあるらしく流されゆかな楽しみゆかな
川向かうに飛ばされさうな吹き流し園児の描きたる鯉 風にのる

〇こころが外界へあかるく開かれていて、風通しがいい。1首目のリフレインが歌の内容とうまく絡み合っていてのびやかなリズムがある。2首目、川風に飛ばされそうな吹き流しが園児の存在を喚起して生き生きと描かれている。

添田尚子
誰にかはわからぬけれど挨拶をしながら乾いたオフィスに入る
つり革を持たずに終点までいけば合格というひとりのあそび

〇一連のながれから就職試験にのぞんでの起伏のある心理が迫ってくる。一首目、乾いたオフィス、という表現が印象的。まだ、繋がりのない人達の中へはいってゆく緊張感がよくでている。

河村孝子
日暮れみち黒革手袋落ちていて指袋のまま手が這ってくる
影があることが嬉しいときどきは真ん中を開きわたしを入れてね

〇道に落ちている手袋はどこか生き物のようで不気味。指袋という言葉に存在感がある。
二首目は不思議な歌。自分の影のなかに入りたいということか。倒錯した感覚が面白い。

鍬農清枝
空澄みて看取りし悔いの幾つある素知らぬ顔で猫のすぎゆく
献立のきまらぬままに葱きざむ厨の闇の濃くなるゆうべ

〇どなたか近しい人が亡くなられたのか。看取りにからむ記憶が淡々と詠まれている。人は記憶のなかで生きていることを思う。2首目も、たちまち過ぎてゆく現在という時間の不安定さを見つめているようだ。

升本真理子
行くたびに米はあるかと訊かれたり七分搗きには小石混じりて
組合に任せば米は作られて その米を買うことになるらし

〇農業は食にまつわるだけに、営む人がいなくなると生活の芯を失うように寂しい。1首目は、農業をまかせていた人への追慕。小石を言い添えるところに苦さがある。

弓立悦
死をかくまう海の明るささいはての珊瑚の島に猫はまどろむ
航海の船に生まれた多指猫はしあわせ呼ぶともてはやされて

〇物語性のある一連。指が一本多い猫が、あちらこちらに出現し、人の生死という運命をあやつるように思えるのが不思議。

松村正直
お墓とは思えぬほどの明るさの古墳広場の芝に寝ころぶ
あれは、ああヤコブの梯子 あざやかに天国は今もあるのだったか

〇大きすぎるものは、その意味を変えてしまうのか。古墳はまさにそういった意味で死を異化する装置。寝ころぶと、包み込まれるような安らぎがある。天国という想念もまた同じ。

森田悦子
「お紅茶でも入れましょうか」と霧雨の降る冬の午後わが独り言つ
過ぎゆきはなべて些細な出来ごとと思へるほどに歳を重ねて

〇身近な人を送りつつ、残された自分におとずれる静かな時間と向き合っている。こうした自足したこころが似合う年齢というのがあるのだろう。


岡野はるみ
何もかも桜が覆ってくれるからいつもはしない話のいくつか
少女らは桜ソフトを食べながら過ぎる 異国の言葉交わして

〇桜の花は圧倒的な量感によって人のこころを高揚させる力があるようだ。1首目はそんなさくらの力を捉えている。2首目はさらりとしたスケッチで明るい。

佐々木佳容子
からだから息が離れていくように匂う梔子 月を惑わす
さからわず風に揺れいる竹群の主語でも述語でもなく生きて

〇体感をとおして詠まれていて生なましさが迫ってくる。月が惑わされるという見立てが面白い。月にも生命が通っているようだ。2首目、上句の景と下句の志が適切。

長谷部和子
欄干より運河をのぞく混雑はさらに増しをり戻る人もゐて
顔の右近づけながらこゑを聴く耳を病む人も旅に加はる

〇旅先での歌がつづく。1首目、見知らぬ土地の運河を見ている作者をとりまく雑然とした空気感がよくでている。2首目、他者の描写に存在感がある。

林田幸子
病む犬を抱いて行く道ハナミズキ咲いていたのかいなかったのか
ウォーキングと犬の散歩の違いなど話して夫とふたりのくらし

〇飼い犬を亡くした悲しみを詠みながら、重くはならない。犬とハナミズキの取り合わせが美しくてせつない。夫と犬がいいたころの時間を今も共有していることに救いがある。

小坂敦子

よき声で温めますかと訊かれたりレジに並べる病衣のわれは
人工の島へと続く「あゆみばし」渡れば未来に会うかもしれず

〇入院中の身のたよりなさや不安を軽いタッチで詠むこと容易ではない。ここではよき声で、と意外な入り方をすることで成功しいている。2首目の橋の名前もよい。