眠らない島

短歌とあそぶ

大森静佳 『河野裕子の歌鏡(五)』



大森静佳が「梁」に連載している『河野裕子の歌鏡』が第五回になり、いよいよ佳境に入ってきた感がある。前回の評論あたりから、初期のやや観念が先に立つ歌風からしだいに口語を取り入れつつ、平易な歌風へと移行するその軌跡を追ってきた。同時にものの内部に入り込むあるいは、自身のなかに取り込むような歌風の成立の背景を、例歌を挙げ丹念に鑑賞しながら論証している。大森の評論を読みつぐことで、多くの河野裕子の秀歌に出会う楽しみもある。読者を離さない文章である。
 
今回は、第九歌集『歩く』から、第一二歌集『庭』まで扱っている。この間に河野自身の癌が発見されているわけだが、今回は読みのポイントを病気が発覚する前と後での歌風の変化に焦点を当てて論を展開している。
 
  ああ寒いわたしの左側に居てほしい暖かな体、もたれるために 
                      『日付のある歌』
 
 これは筆者も注目した作品だが、この歌を大森は抄出していている。病後の歌には苦しさが滲むが、この作品から口語の可能性を次のように述べていることが印象的だった。
 
  重厚な文語によって人間の生老病死を詠んできた近代短歌を引き継ぐ世代からはしばしば「口語では生老病死をうたえない」という批判があった。その点、河野の病の歌はどうだろうか。「生老病死をうたい得る口語」の可能性を示したものではなかったか。
 
この点、大いに賛同したい。河野の体と言葉と感情が一つにとけあったような口語は読む者を引き寄せる力がある。
 
また、自己と外部との関係の変容を、それまでの自己を強く押し出す歌風から、「自分というものを強く押し出さず、さらさらと世界に身を任せていると正確に把握している。鋭い認識であるかと思う。そういう歌にたいしての様々な評価を紹介しながら、斎藤茂吉の最晩年の歌集『つきかげ』に比して、その類似を挙げている。「無抵抗な自分という器に外界を流し込み、言葉に身を任せる。それによって生まれた不思議な静けさのある自然詠は魅力」としながら、「家族をうたった歌では、その淡さが疑問として残るかもしれない」と課題も挙げる。
 
 論の最後に、「対話の文体―字余りを中心に」と題して、この時期の大胆な字余りの作り方の分析を丹念に行っている。
 
 ( うずくま)りそら豆の皮をむきてゐるこの母はわたしを一度も叱りしことなし 
論中で母を失った歌を引用している。確かに大胆な字余りだ。この第四句一二音について「別の位相からの言葉が挿入される形」と指摘したうえで、「河野にはこの時期に定型を越えたところで、何か言葉やリズムの実験をしてみたいという欲望があったのだろう」とも推測している。
 果たして、こういう字余りがそういった意図でもって作られたかどうかは分からない。ただ大森が論の最後にこう括っているのが、実相に近い気もする。
 
たった一人の紛れない自己が、紛れない世界と一対一で対峙している、という感じではもはやない。揺れ動き、入れ替わり、不安定な「私」が一首のなかにうごめいている
 
やはり、この時期、過酷な内面を定型に収めるのはいかにも苦しかったのかもしれない。そういう自己を容赦なくあえて言葉にして見せてしまう河野裕子の歌の凄さをこの評論から教えられた。