眠らない島

短歌とあそぶ

蝦名泰洋 野樹かずみ 『類人鳥』 全6巻

はね橋の近くの画家は待っている見えないものが渡りきるのを  泰洋
橋をこえ野をゆく風の絵筆そして ざわめきやまぬ麦畑かな   
                                                          かずみ 
 
 
短歌両吟「類人鳥」は歌人の野樹かずみと詩人蝦名泰洋との合作の歌集である。このように二人で詠みあうのを両吟ということを初めて知った。この両吟は日付が1992年のものもあり、ほぼ二十年前の作品群でしめられている。全6巻の冊子にぎっしりと二人の歌が交互に並ぶ。気の向いたとき、どの巻からでも読み始める。そうするといつのまにか詩の波打つような躍動感に包まれて読み続けることになる。すこしづつ、意味をずらしながら、言葉が生まれ、世界がひろがってゆく。そして詩の言葉っていいなあとつくづく思う。まさにこの集はふたりで紡がれた詩への賛歌のようにも思われる。
 
巻頭にあげた二首は六巻目の巻頭に近いところから引いた。一首目の画家は詩人と置き換えて読んでみてもいい気がする。しずかにこころを澄まして詩が生まれるのを待つ、そんな瞬間をうつくしい橋のイメージで詠っている。「見えないもの」こそが詩なのであろう。そしてそれにこたえる野樹かずみの歌。やわらかな歌いぶりである。
 
ひとといる心細さに耐えながらひとといるたぶん心細くて   かずみ
悦楽にゆられるように憎しみに揺れる血をもつ何故とは知      かずみ
合歓の葉に合歓の花浮くパステルの海に漁り火揺れるごとくに  泰洋 
 
 
野樹の歌はどちらかというと内面から歌い始めている。やはり歌人らしいと特色がある。一首目はリフレインをうまくつかいながら、こころの襞をナイーブに歌っている。シンプルでこころに残る。二首目もさらに内面性に切り込んでいる。それに対して蝦名の歌はすっと視線をかわすようにひろい空間へ思いを解き放ってくれる。やはりイメージが鮮やかだ。この方向性の違いがうまくはたらいて、延々とつづく歌に重層的な多義性をはらませて読む者をひきこんでゆく。ふたりとも、発想がゆたかであふれる泉の前にいるような豊かな光景がここにある。二人の呼吸が聞こえるような、こんな掛け合いができたら、どんなにか楽しいだろうと思えて羨ましくなる。
 
まぼろしの荒野へ帰るつかのまは死者のほかだれもわたしを呼ぶな  
                                                             かずみ  
宇宙が拡散して肉親も他人になるすごくいやなことです    泰洋  
 
絶対的な孤独を詠んでも、それを受けとめ、そして答えてくれる言葉がある。そして、両吟という形式には日をこえ、時間をかえて読み継がれてゆくという豊かさはあり、そこには至福感さえ漂っているようだ。詩がこんなにも幸せそうな顔をすることに驚き、詠む度に新鮮な世界に連れて行ってくれることを楽しんでいる。ここには相互の言葉への深い信頼がある。それがとても気持ちがいいのである。
 
口笛を聞かなくなりし界隈に今日も無言の帰宅者がいる     泰洋   
どなたへの贈りものだろう夜のバスの光の箱に詰め合わされて かずみ