眠らない島

短歌とあそぶ

同人誌 『66』 (ロクロク)


同人誌『ロクロク』を先月から何度か取り出しては読んでいる。若い世代の同人誌はよく見かけるが、四十代前後の女性歌人ばかりの同人誌は初めて手にした。こんな集まりが可能だということに気づかされ、新鮮な刺激を受けた。
 
後書きにはこうある。
 
全員が結社に所属しており、理念も歌風もさまざま。ただ、短歌に魅せられて離れられないでいるということが共通点です。
 
女性に限らず、四十代はなかなかに波乱が多い世代かもしれない。社会人として、或いは家庭を持つものとしてある程度経験を重ねたうえで、それぞれ年齢に応じた課題に直面し、孤独感を抱えたまま漂っている。今回、出会った『ロクロク』の作品群には、そうした世代の多様でかつリアルな自意識がありありと打ち出されており、改めて強く感銘を受けた。また、表現へのひりひりした飢餓感も伝わってくる。既製の制度に対する違和感とでもいうか、ざらつき感がおおかたの歌人の歌にあり、それが短歌表現になまなましさを与えているように感じる。
 これは、予断に満ちた感想になるが、このメンバーが首都圏を中心として集まっていることもこの同人誌の色合いに影響しているようにも思う。首都圏に住むということの緊張感、あるいは危機感や先鋭的な美意識がここにある。関西の雰囲気とは少し異なる気分も興味深い。
 
 好きな作品、印象的な作品を連作、歌会記録のなかから拾ってみた。
 
 浦河奈々
ゆふがほの蔓伸び続けつやつやと育ついのちの太さを持てり  
〈大事なもの〉入つた虹色のかみぶくろ小脇に抱へて父外出す  
 
遠藤由希
今朝父は紺のベストを羽織りおり曼珠沙華もう茎だけとなり   
柏そごう秋になくなるこの町に四十三歳( よんじゅうさん)なるわれは働く    
自らのかたちを充実させながら色を深めてゆく柿の実は   
 
岸野亜沙子
けふどこで傷ついたのか穿きかへて脱ぎ捨ててゆくナイロンの脚  
 
後藤由紀恵
妻でありき短き日々のひとところ麦茶を沸かす大き薬缶あり    
恋の部にならぶ古代のおみならのよろこびかなしみわれに満ち来よ  
 
齋藤芳生
白い凧揚げて子どもがつかまえるぴいんとまっすぐな春のひかりよ  
 
高木佳子
草のはら深くゆかむとをさなごは靴を脱ぎをり鳥になるとて  
をのづからみひらくことに疲れをり甘納豆の糖はこぼれつ
しろがねに芒充ちたりみちのへに刈るひとなくて秋をありたり   
 
鶴田伊津
水をかく腕の確かさ今日よりも明日を信じるこころはあらず   
関節という関節が鳴り始め容赦なきまでひとりであるよ   
 
富田睦子
わたくしを脱出できないたましいは公孫樹黄葉をひたすらに恋う  
言いわけを飲み込みしまま別れけり春のキャベツがめりめり割れる    
 
錦見映理子
黒髪のごとくうねりて満ちてくる夜のほとりにきみと立ちをり   
振込票にあぶらのごときものにじみたるまま機械へ飲ます  
 
山内頌子
もたないと思いつつする仕事あり 朝ひらきたる萩がゆれている
 
沼尻つた子
水張田に雨粒おちてくるようなあなたのことば、あおむけで聞く  
ストローに一日分の野菜吸う今日のからだへの詫びとして  
 
玲はる名
しらしらと雪の向かふにある故園( くに)へ瞼を啓く 眼球がある
 
11回にわたる歌会記録の質の高さがこのメンバーの優れた資質を表している。「近現代の女性歌人の歌を読む」の座談会記録もかなり深い内容で読み応えがある。