眠らない島

短歌とあそぶ

近代短歌を読む回 第6回『山川登美子歌集』資料つづき

 ⑬

『恋衣』の歌人  (『帝国文学』明治38・2・10)
 
山川登美子は感情の灼熱においても文学の駆使においても、さほどえらき歌人にあらず。特に空想の貧小なるは憐れむに堪えたり。彼女の歌は多くの点において乱れ髪を小規模にしたるやの観あり。換言すれば晶子を持って一世の才女とすれば登美子は確かにそのエピゴオネンの徒なり。
『恋ごろも』  指玉  『明星』明治38・3・1
 
ひとすぢを千金に買ふ玉もあれ七尺みどり秋のおち髪
 
新詩社調といわむより、むしろ晶子調、またはみだれ髪調なり。しかし、優しみのある所が特徴とも申すべし。晶子氏の歌は裸美人の如し。隠すところも隠さず、故にある一面よりは妖精とも見ゆるなれ。登美子氏の方遙かに女性的にしてまた東洋的なり。裸といえども乳房くらいしか見せぬだけの羞恥あり。僕がこの人の歌を好むのは第一番に其処がありがたいのに候。
「故山川登美子女史の歌」 与謝野 寛  (「女子文壇」明治42・6・1)
 
登美子女史の歌は其の病気に罹る以前において奔放熱烈なる感情を出だすを特色とし、ただに恋愛に関してのみならず、世のすべてに対し目覚めたる若き女性の反抗的態度が著しく見えた。其の作は三十八年の一月に出た歌集『恋ごろも』
に載っている。不治の病を得て以後の歌は一転して沈痛哀艶の調べを帯び、内心の苦悶を掩わんとして掩い得ざる尾頃に読む者の目をうるましめた。女史の歌の数は短き生涯に比例して甚だ少ないが、毎首皆女史が心血の迸りであって、秀でた歌を残しいるのは偉なりといわねばならぬ。想うに短歌革新の女詩人として女史の名は必ず不朽であろう。