眠らない島

短歌とあそぶ

平岡直子 『みじかい髪も長い髪も炎』

ただ風に吹かれるという苦しみもあるのでしょうね煙草一箱   

 

過ぎてゆくものに抗いもせずにただ見送るしかないとしたら、それを苦しみと名付けるとしたら、存在とはなんともやるせない。普通こういう文脈では、木がよく登場するけど、ここでは「煙草一箱」というずいぶん卑近なものがぽんと投げ出されることで、なんとなくそこに人の気配を感じてしまう。永遠という風に吹かれて、絶対的な孤独を負わされているちいさな煙草の箱がふるえている。

 

ダウンジャケットいま転んだら12個の卵が割れてしまう坂道

 

ダウンジャケットが主体そのものだろうか。羽毛で包まれたダウンジャケットだけど、安全とはいえない。ダウンジャケットが12個の卵を割ってしまうという惨劇がいつだっって起こるのが坂道。このとき12個の卵はどこか希望のようなものとして、描かれているのかもしれない。だれでも割れそうな12個の卵を秘めている。

 

見たこともない蛍にたとえるからにはいつか蛍を見るのだろう

 

見たこともない蛍というのが純粋な想念そのもののようで、実際の蛍よりも、美しくて幻想を孕んでいる気がしてしまう。いつかは蛍を見るのだろう、という願いが儚く響いてくる。観念の蛍がそのまま、聖なる蛍として魂を照らしてくれるときが来るような、そうであれば、いい。

 

春といえばワンピース。ワンピースといえば夏。夏が終われば秋。   

 

やはりワンピースをかろやかに着るのは春から夏だろうか。ワンピースをとおして季節感がいきいきと輝いている。春から夏へという、生命感にあふれた季節をわたり、やがて秋。

身に付ける洋服でたしかに季節はかわってゆくことを私たちは知るのだけど、それは素敵に新しくて繊細な感覚のように思える。こうして、巡る時間のなかに生きているのか。

 

絵葉書の菖蒲園にも夜があり菖蒲園にも一月がある    

 

たぶん手元にあるのは絵葉書なのか、絵葉書に訪れる夜、そしてそこから実際の菖蒲園へと想念が飛ぶとき、時空を簡単に超えて、世界がひらかれるような自在な発想がある。さっき、実際とかいたけど、それは現実の菖蒲園なんかではない。想念の中に存在するピュアな庭園だ。こんなに簡潔な表現にこめられた、小さな世界からうんとひろい宇宙へ羽搏いてゆくような、あこがれがせつない。