眠らない島

短歌とあそぶ

ベラン3号

「ベラン3号」が届いた。開けば掌に翼をひろげた小鳥ほどのサイズ。30分もあれば読み切れる。
このところ短歌がなんだか重くて、少し離れていたいなんて思っていたから、「ベラン」は実にありがたい。言葉の軽い翼で20メートルほど飛翔させてくれる。それがとても心地いい。わずか3人の冊子だけれど、自由でやわらかな世界に束の間あそばせてくれる。
少し、作品を紹介します。
 
松本秀一
ゾルバ」

その男ゾルバのやうに空を見る春の岬の突堤の先
持ち込めば水仙ふいっと香り立ちたたしてやりぬわれの机に
深緑の木々のそよぎと共に聴くフォルクローレの笛の明るさ
きのふとは打つて変はつた五月晴れ、かうでなくては始まらぬ愛
列なしてみんな仲良し晴れた日をわづかに揺れるじゃがいもの花
 
その男ゾルバ」はギリシャを舞台にした映画。ゾルバは何もかも失ったのに、すがすがしく空を眺める。したたかでこだわりのない思考がこの連作を実に風通しのよいものにしている。2首目の水仙の歌のこまやかさ。3首目、みどりの木々と笛の音の明るい響き。それを感受するこころの余裕。4首目は特に好きな歌。こんなふううに言い切られたる愛ってほんとうに幸せ。5首目、じゃがいもの花といえば石川啄木を思うけど、ここでのジャガイモの花はなんて楽しそうなんだ。こういうふうに濁らせずに景を詠める背後にある澄明な整精神性を思う。とてもきもちよく整理された認識がこれらの軽快な言葉を編み出す。
 
 
米田満千子
 
「トンボの気持ち」
 
… 略…
 
0になる直前に、
思い出したように
拡げる、翅に
真昼間の白い光が
透き通る、反射する
 
はちみつのような大気を
ざらり、掻き分けて羽撃けば
すべての過去と引き換えに
浮かび上がる身体
剥がされてゆく影
 
…略…
 
 
「トンボの気持ち」というタイトルが不思議。トンボになり代わり、心を寄せてゆく。トンボは軽々と風に流されているようで、「はちみつのような大気」を結構苦労しながらかき分けて羽搏いているという。それは生きているのなら、どうしても通り抜けねばならぬ「今」という時間の重さ。生きてあることは、光や影のような淡さからは遠くて苦しい。
 
角田純
「モンビ海岸(三)」
 
肩のあたりを石壁に圧し付けるようにしながら慎重に狭い螺旋階段をのぼってゆくと、…
あらゆる破船が間歇的にひきおこす痙攣のようなみなもの騒めきと…
それは遠い記憶の彼方へ朧げな声の束を温かい血流のように浸潤させているかのようだった。
 
これは瀬戸内海に浮かぶ釣島という小さな島に明治初年に外国人によって建設された灯台についての思念的な文章というより散文詩か。現実と非現実のさかいをまさに侵食しながら建築のはらむ時間の内部に言葉でさしこんでゆく。近代の闇を言葉で現代に覚醒させてゆく、そのスリリングな抽象性を孕むフレーズに意識は引き込まれる。ここに展開される近代、そして建築ということ、構造ということのはらむ詩想を追ってゆきたい。