眠らない島

短歌とあそぶ

山川藍 『いらっしゃい』


大根ともっと仲良くできたらと思う炒めたりしないまま      
 
この作者はどこから言葉を出してくるのだろう、こんな素裸なままで。おそらくは言葉は選ばれているのではあるが、生な心とほとんど距離がない。まるで蒸留水のように無菌状態の言葉は、読むとそのまま読むほうの心になじんできて響いてやまない。表現のしかたは、あるいは題材は卑近で俗なのに、その内実はいたいたしいほど通俗からとおい。それは、雑踏のなかに幽かに流れてくる聖なる声のように聞こえてくるから不思議だ。
 
 巻頭に挙げた歌は、この作者の歌の作り方の秘訣を思わず言葉にしてしまったようにも思う。「大根」は世界そのものだろう。世界はこんなに身近にあるのに、私たちはいつもその本質には届かぬまま、ぼんやりと生きている。そして、「仲良くしよう」とすると、たいがいは余計な修辞や、たくらみを挟み込んで台無しにしてしまうのだ。大根とつながりたいという実感を「炒めたりしないまま」表現したときに、この作者は既に「大根」と供にある。この歌の前には次の歌がある。
 
タマネギとダイコンキャベツ熱すればみな透きとおる美しきもの   
 
どこにでもある身近な素材にこうしたピュアな光をあてるとき、世界は一変する。「みな透きとおる美しきもの」はこの作者そのものが編み出してきた世界でもあるだろう。こうした、童心にちかい視線がなんの曲折もなく差し出されただけあるならば、言葉はもっと浮き上がってしまうだろう。この作者は、そうした危険に対してとても慎重だ。それは、おそらく労働という生活体験を通して、人の心がどれほどチープに扱われるかを身をもって知っているからかも知れない。
 
疲れてる事で繋がるわたしたち休憩室でカレー食べつつ   
退職の一日前に胸元のペンをとられるさようならペン   
手に職がついたらそれを個性とか性格として言われるのかな     
 
 一首目、時間を切り売りする労働者としての側面が現代的な場面で切り取られている。二首目、退職することのさみしさがひとつのペンに託されて、哀切だ。「胸元のペン」という表現が簡潔で効いている。三首目、本来の自分と現実の自分とが少しずつずれてゆく。生きてゆくために「手に職をつける」ことと、生きていることの微妙な齟齬感。ここに、この作者の現実を見通す鋭い視点があるし、批評性も感じる歌だ。
 
生協に入るとたまるポイントを入らないまま心にためる      
誰からも怒られたくはなくて行く文房具屋のはさみコーナー    
 
何者からも自由でありたいと願う心が、歌集全体から噴き出している。一首目は、そんな思いを抱くこころの孤独さが生きられている。二首目、痛ましい叫びがありながら、それを抑え込んで一首となっている。文房具屋という場面の設定がとてもうまい。
 
集中には猫の歌がたくさんあってどの歌もいい。猫を詠うことは家族を詠むことであり、そこには、生きることと死ぬことの悲しさが見つめられている。
 
「天国に行くよ」と兄が猫に言う 無職は本当に黙ってて