眠らない島

短歌とあそぶ

千原こはぎ 第一歌集 『ちるとしふと』


これ以上ない完璧な輪郭を生み出すことからはじまる仕事   
 
 千原こはぎさんのプロフィールにはイラストレーター、デザイナーとある。高校に勤めていたころ、女子高校生のなりたい職業のベスト3には入っていた気がする。それくらいだから、私にとってもなんとなく憧れの職業だった。歌集を読んでやはり職業の歌は張りつめていて輝きがある。プロとしての矜持が歌の言葉を磨き込んでいる。そして、現場の厳しさもよく伝わってきて、臨場感に満ちている。今は、パソコンの機能を駆使しての作図であろうから、専門的な用語は私にはわからない。わずかの誤差も許されない業界なのだろう。仕事へ向かう緊張感がそのまま、清潔な文体を呼び出していて読みごたえを感じた。冒頭に引いた歌も、これから仕事に向かうときの張りつめた気迫が伝わってかっこいい。

行き詰まる昼キーボードに突っ伏して偶然が生む詩を眺めてる      

焼きたてのパンの写真を配置する今日まだなにも食べてなかった   
 
 仕事に集中する時間をリアルに描き留めながら、ふっと詩情を立ち上げて上手いなと思った。1首目、「偶然が生む詩」とは、降ってきたアイデアを他人事にのように受け止めているのか。とすれば至福の瞬間。2首目は、そのとなりに配置されていた歌。「パンを配置」するという言い方もなかなか硬質でおもしろいのだが、その仕事の意識と、「なにも食べてなかった」と気づく意識の落差に生身のからだがぬっとあらわれてリアルな感覚だ。これも仕事の歌として生動感がある。
 
旅先の路地から笑いかけてくるわたしが描いた家族のポスター  

友人の個展のはがき アーティストではないことをまた噛み締める   
 
 仕事の最中の歌もいいけど、仕事の領域からふっと外れた時の、あてどない不安な歌がなぜか印象的だった。1首目、仕事の空間や時間を離れた旅先で、自分の仕事のポスターに出逢ったときの歌。自分のまだもたない「家族」のポスターであり、その家族が笑いかけてくるとき、この「家族」は完全な他者として自分を揺さぶっている。また、2首目、この歌にもはっとした。イラストレーターとアーティストの違いがどのあたりで区分があるのかさだかでないが、消費される領域の作品と、そうでない一点ものでオリジナルな芸術作品とに意識のレベルでの軽重があるのだろう。とても繊細な世界だ。友人が個展をひらく葉書をみたときの内面の葛藤がなんだか人間臭くてありありと屈託した感じが伝わってくる。
 
歌集に収録されている歌には恋の歌が多い。

気が付けばいつもの駅でポケットの小さな鍵を握りしめてる      

逢いたいとそんなに思えなくなって<いいぞ>しずかに暮れてゆく空 
  
現実のわたしの指が幻想のわたしを閉じるため差す栞 
   
誰だって誰かの欠片その角が擦れ合うたびに騒がしい街     
 
 恋をしているときは、かえって自分が見えやすい。孤独や痛みを詠むときに、自分から距離をもって立っているかどうか、その距離が歌を自立させる。1首目、恋が終わり、やがて一人の自分に還る瞬間。「いつもの駅で」というフレーズがとても効いている。恋をする前の日常にもどる転換が鮮やかだ。2首目は、別れた恋人から気持ちが離れてゆく自分を「いいぞ」と肯定し、ようやく自立できることに安堵感をもって見ている。冷静な自意識が気持ちいい。3首目、「わたし」に客観的に向かい、それを外から描いているところ、自意識がとがっていて魅力的。比喩もとてもいい。4首目は、深い認識があってはっとさせられた。
 
歌集が仕事と恋の歌とで別れそうなところに、ひとりの人格として全体性を孕んで詠んだ歌を挿しこむことで、歌集がもういちど立ち上がってくるような印象があった。