眠らない島

短歌とあそぶ

永田愛  第一歌集 『アイのオト』


永田愛の第一歌集「アイのオト」は実にうつくしい。短歌を作ることと、生きることが重なる悦びをまっすぐに伝えてくれる。これほど構えずに読ませる歌集がこの時代に可能なのかと驚きもあった。最近、歌集を読むときには、どうしても発想の斬新さや、鋭い表現や、取り合わせの爆発力のような技に目が行ってしまう。そして、そんな自分が寂しくなってしまうことも度々だ。永田愛の歌集は自身の純粋なこころだけで言葉を編みおえている。
モチーフは多岐にわたる。音楽があり、職場がある。そして生まれながらに背負った障害を、あるいは家族や周囲との軋轢を、ごまかさずに丁寧にいくども詠んでいる。詠むことで、様々な心情が自然に浄化されていくようだ。その長い時間を読者はともに追体験する。すると得も言われぬ感動が読む方にもあふれてくるのが不思議だ。
 
最初に、技からは遠いように書いたが、これはとても洗練された文体の力によるのだろう。過剰でもない、そして淡くもない。どちらかというと芯のとおった強い自己表出と、やわらかな心情表現のバランスは歌集全体をとおして絶妙と思う。
 
吉野川橋を渡って会いにゆくあなたは川の南岸のひと    
トンネルの出口は風の吹くところきみは帽子をかるく押さえる   
いつの日かかならず行くって決めている好きな電車に好きなだけ乗り   
 
1首目の歌は、ずいぶん前にどこかで読んだ記憶がある。さわやかな若々しい相聞歌。吉野川という自然の地形もいいし、南岸のひと、という表現であこがれの思いがすなおに流れている。2首目は、ある瞬間をとらえて人物のシルエットが生き生きしている。永田愛はこうした細やかなしぐさで、キャラクターを実にうまく立ち上げて魂を吹き込む。
3首目は、歌集後半の歌。なんの衒いもなく気持ちをまっすぐに叙述する。生きることへの希望が言葉を強く打ち出す。
 
永田の歌は、苦しい場面を詠んでいても、言葉が捻じれていないので心の風通しがいい。
そう詠むことで自分を励ましているのかもしれないが。
 
足のことを理由に終えた恋ありき恋をうしなうことも個性か   
詫びるように生きてゆくのはくるしいよゆうべの段をぐらぐらのぼる   
冬の夜の空のたかさが苦手なりこの世にのこる覚悟が足りず    
 
生まれながらの足の不調はこの作者の人生に大きな影を落とす。それは自身ではどうにもならぬ不条理そのものだが、傷つく自分をそれ以上にも、以下にも見せずありにのままに受け入れる。
そして2首目のように生きることの苦しみを率直に詠みあげている。ここには等身大の作者がいて、読む方も同じ境遇になって悲しむ。どうしてそれが可能か。この歌は「詫びるように」という比喩と、「ぐらぐらのぼる」という体感がみごとに響き合っている。ここにさりげないそして的確な修辞が織り込まれていることに気づかせられる。
3首目はすごみのある秀歌だ。「この世にのこる」というフレーズが突き刺さってくる。絶唱といっていいかもしれない。
 
晩秋のようなあかるさ子を知らぬわたしの腕がみどりごを抱く  
来世とはこんなものかもしれなくて児と走らせる玩具の電車
 
妹の子への思いも複雑さを孕みながら、やはり無垢な幼子にこの作者の純粋な魂が共振しはじめる。この世に生まれたばかりの清らかな生に触れることや、あぶなかしさを敏感に感じ取る感性は、作者自身のこころを遠い時間へ飛ばす。それはこころの解放だろう。日常にしっかり足場をおきながら、いつも心の天窓は遠くに開かれている。そこにあかるさがある。
 
雨ののちちいさな日向に干す傘の過ぎし時間のようなあかるさ