松村正直 『戦争の歌』
泥濘に小休止するわが一隊すでに生き物の感じにあらず
松村正直『戦争の歌』は、読むものに歴史ということに思いを深く向かわせる力をもっている。それは戦争とは、歴史とは、文芸とは何なのかという、絶えざる問いかけを重ねる粘り強い松村自身の思索の時間と向き合う楽しみも与えてくれる。
松村はあとがきでこう記している。
次に考えたいのは、戦争を詠んだ歌をどのように評価するのかという問題である。第二次世界大戦の敗戦を経て、現在の日本では「戦争=悪」という観念が広くゆきわたっている。けれどもそれは必ずしも普遍的な価値観ではなく、時代や国によって大きく違うという点は押さえておく必要があるだろう。
ここには松村の、硬直した思想としての「正義、善、真」ということへの本来的な不信や懐疑がある。あるいは「人間の意志や理性」ということへの謙虚な姿勢といってもいい。社会の枠組みや思潮に流されず、常に現実の多様性を足場にして自らの判断をすすめたいという覚醒した思考のクリアさがこの一冊を支えているように思う。
戦争のたのしみはわれの知らぬこと春のまひるを眠りつづける
前川佐美雄『植物祭』
たとえば、この歌を引いてこのように読んでいる。
「戦争のたのしみ」という言い方はまず強い印象を与える。戦争を起こす人間や社会に対する批判や批評精神を読み取ることができるだろう。あるいは戦争というものに、人間が本来持っている暴力性を見出しているのかもしれない。
このように、この著書は単なる「戦争の歌」の観賞本に終わらない。1首の歌をまず作品として、丁寧に鑑賞して、その歌がなぜ、どんな状況で読まれたのか、労を惜しまない詳細な探究がなされている。ここに引かれている51首の歌と、その解説文を読みながら、明治以降の日本の近代化の裏面としていつも戦争があり、短歌もまた過酷な近代をくぐりながら、戦争という大きな危機に直面しつつ、複雑な人間の内実を表出するにたる一分野を切り開いてきたことにある種の感動を覚えた。
兵匪討伐に十人を斬りしとふ兵はウヰスキーを嘗 ( な )めて誰よりやさしげ
吉植庄亮『大陸巡遊吟』
この歌を引く松村の鑑賞眼が魅力的だ。一冊をとおして近代戦争のいちばんデリケートな内部を透視するような眩惑感がある。これはやはり膨大な資料の裏付けによるのだろう。
あとがきで松村が提言しているように「戦争の歌」は社会詠として今後を考えるための作品であり、何よりも「人間」について深く考察してゆく手がかりでもある貴重な一冊になることはまちがいない。