近代短歌を読む会 第14回 斎藤茂吉「白き山」
今回は、前回の反省にたち「白き山」一冊に鑑賞を集中することにした。「白き山」は茂吉64歳から65歳までの作品から構成されている。この2年弱の期間でありながら800首を超える作品を歌集に収めている。敗戦で意気消沈していたと言われる時期であるにもかかわらず、圧倒的な作歌意欲である。
人口に膾炙している「最上川逆白波の立つまでに…」などの自然詠はもちろん目を引くだけの魅力がある。茂吉のエネルギーの源泉だろう。そういう題材にもまして、注目したのは比喩の斬新さである。抽象から具体を引きだしたり、具体から抽象へ飛ばしてゆく比喩の力学をさまざまに駆使しながら歌を完成させている。また、どんなありふれた題材も、舐りつくようなワンフレーズをさしこむことで、自分の歌にしてしまう方法を自覚しているように思える。
824首のなかには、同じ題材の歌が幾首も並ぶ。さすがに読み飽きてしまう。しかし、そこには、内面の屈託や失望、あるいは慰藉をいわゆる手触りのある言葉や、連接に置き換えるまで、表現とどこまでも格闘したであろう時間を垣間見るようだ。
やや謎めいた言い方で歌を手放したり、屈曲した心情を大胆に歌いおさめてしまうところなど、多様な詠法があり、やはり読者を引きこまずにはおかないという気迫に満ちている。
〇参加者の5首選から
幻のごとくに病みてありふればここの夜空を雁がかへりゆく
しずけさは斯くのごときか冬の夜のわれをめぐれる空気の音す
鳥ふたついなづまのごと飛びゆけり雪のみだるる支流のうへを
をりをりは舞ひあがる音もまじはりて夜の底ひに雪はつもらむ
偶然のものの如くに蝋涙はながく垂れゐき朝あけぬれば
最上川大みづとなりみなぎるにデルタのあたまが少し見え居り
五月はじめの夜は短く夢ふたつばかり見てしまへばはやもあかとき
雪ふぶく頃より臥していたりけり気にかかる事もみなあきらめて
道のべに蓖麻の花咲きたりしこと何か罪深き感じのごとく
最上川のほとりをかゆきかくゆきて小さき幸をわれはいだかむ
オリーブのあぶらの如き悲しみを彼の使徒もつねに持ちてゐたりや
聞けるもは聞けり聞かぬものは聞かずけりワーテルロオのその戦いも
最上川の流れのうへに浮かびゆけ行方なきわれのこころの貧困
ふかぶかと雪とざしたるこの町に思ひだししごと「永霊」かへる
最上川の支流は山にうちひびきゆふぐれむとする時にわが居つ
砂のうへに杉より落ちしくれなゐの油がありて光れるものを
秋づくといへば光もしづかにて胡麻のこぼるるひそけさにあり