明治43年夏の啄木 (現代歌人集会春季大会報告 その3)
● 明治43年夏の啄木の歌
人気なき事務室にけたたましき電話の鈴ぞなりてやみたる 6月13日
するどくも夏の来たるを感じつつ雨後の小庭の土の香を嗅ぐ 6月13日
公園の隅のベンチに二度ばかり見かけし男この頃見えず 7月28日
忘られぬ顔なりしかな今日街に捕吏に曳かれて笑める男は 7月28日
人ありて電車の中に唾吐きぬそれにも心痛まむとしき 7月28日
はたらけど働けど我が生活楽にならざりぢつと手を見る 8月 4日
耳掻けばいと心地よし耳を掻くクロポトキンの書を読みつつ 8月 4日
邦人の心あまりに明るきを思ふ時我のなどか楽しまず 8月 7日
新しきサラドの皿の酢のかをり心に沁みてかなしき夕 8月 7日
赤紙の表紙手擦れし国禁の書読みふけり夏の夜を寝ず 8月 7日
ことさらに燈火を消してまぢまぢと革命の日を思ひ続くる 8月 7日
新しき背広など着て旅をせむしかく今年も思ひ過ごせる 8月15日
ふと見ればとある林の停車場の時計とまれり雨の夜の汽車 8月15日
夜おそく戸を繰り居れば白きもの庭を走れり犬にやあらむ 8月16日
何もかも行く末のこと見ゆる如きこの悲しみは拭ひあへずも 8月31日
国家との対立の意識化
この間に啄木はふたたび新たな思想変革を行っている。国家との対立軸を明確に意識化することで自己主張の対象を見いだしてゆく。短歌においても傍観者的態度ではなく対決をしめしながら、思想表現の課題に立ち向かっている。啄木は国家の強権、社会構造という視点を手にすることで、思想的な自立を図ろうとする。8月には朝日新聞紙上に掲載された『自己主張としての自然主義』への反論として『時代閉塞の現状』を執筆し、実行力のない文学活動を徹底的に批判している。この評論は「強権」という言葉が使われていたため、ついに紙面には掲載されることはなかったが、緊張感と高揚感にみなぎり、同時代の具体的なイメージを提示している優れた評論である。
啄木は、社会変革の理想を見いだすことで、「自由」を手にしたかにみえる。しかし幸徳秋水達の事件についての報道は厳しい報道統制がしかれており、一般国民はほとんど情報がもたされていなかった。大衆は社会変革の必要性を持ち合わせていないし、ましてや弾圧への危惧も感じていないようである。啄木は「邦人の心あまりにあかるき」と違和感を表現している。周囲との温度差のなかで啄木はますます孤絶感と焦燥感、そして大衆への幻滅を苦く味わうことになる。