眠らない島

短歌とあそぶ

明治43年秋の啄木  (現代歌人集会春季大会報告 その4)

●43年秋に雑誌に発表した短歌
 
「創作」10月号 九月の夜の不平
 
燐寸擦れば三尺ばかりの明るさの中を過ぎれる白き蛾のあり
やとばかり桂首相に手をとられし夢みてさめぬ秋の夜の二時
何となく顔がさもしき邦人の首府の大空を秋の風吹く
つね日頃好みて言ひし革命の語をつつしみて秋に入れりけり
地図上の朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く
秋の風我等明治の青年の危機をかなしむ顔なでて吹く
時代閉塞の現状を奈何にせむ秋に入りてことに斯く思ふかな
明治四十三年の秋わがことに真面目になりて悲しも
 
「創作」11月号
 
夜おそく停車場に入りて立ち座りやがて出てゆけり帽なき男
曠野よりかへるがごとく帰り来ぬ東京の夜をひとりあゆみて
邦人の顔たへがたくいやしげに目にうつる日なり家にこもらむ
 
「明星」12月号
 
夜おそくつとめ先より帰り来て今死にしてふ児をかき抱く
底知れぬ謎にむかひてあるごとし死児のひたひにまたも手をやる
 
 
 
1 啄木の葛藤
 
 社会主義は自己樹立の主体的要求と社会的責任感の統一を可能にするものとして啄木は初めて自己の思想を自立への可能性見たはずである。啄木の歌の特徴である「心弱い歌」ではなく力強い、自己主張の表現が生まれてくる。
しかし、社会の状況は自由な主張をゆるさない。明治末年の社会主義者への弾圧はすさまじい。国家と対立することは、死を意味することになる。啄木は激しいジレンマと無力感に襲われている。10月には歌集『一握の砂』の編集をふたたび行っているが、その過程で国家との対立を明確にした立場は用心深く隠蔽されている。啄木がはっきり意識せざるをえないほど、官憲の圧力はすざまじかった。
「一握の砂」は、望郷歌や恋愛歌などを組み入れることで浪漫的な要素を強く出している。そのためか弱い印象をぬぐえない。
 
2 『悲しき玩具』観
 
啄木はそういう社会状況からますます、短歌を矮小なものと意識してしまう。その裏には、なにひとつ社会に対して責任を負わず、行動することの出来ない自分への激しい自己批判がある。
 
「一利己主義者と友人との対話」より
 
形が小さくて手間暇のかからない歌が一番便利なのだ。おれはいのちを愛する から歌をつくる。
本当のところは自分に歌なんか作らせたくない
おれはおれを愛しているが、その俺だってあんまり信用していない。
 
「うたのいろいろ」より
 
 歌という物ものは亡びない。そうしてそれによって、その刹那刹那の命を哀惜 する心を満足することができる。
… 私にいろいろな苦痛をかんじさせることに対しては、一指をも加えること ができない。 … 歌は悲しき玩具である。
 
『悲しき玩具』とは啄木の誠実な批判精神のいわしめた言葉である。
 
3 真一の死
 10月に生まれた長男真一は2週間たらずの短い命を散らしてしまった。
 明星12月号に掲載した歌からは悲しみを超えた啄木の乾いた視線が伺われて凄惨である。生活のなかの深い裂け目を目の当たりにして自失するしかない啄木の内面がさらされている。「夜おそくつとめ先より帰り来て」の「て」の単純接続には巧まざる悲しみのきわまった瞬間が掬い取られていて切ない。