眠らない島

短歌とあそぶ

第8回 土屋文明 第一歌集 『ふゆくさ』

土屋文明 第一歌集『ふゆくさ』を読む
 
〇参加者の三首選
 
夕ぐるる丘の野分は草吹きて榛の木をふきていづくともなし
霜とけてぬれうるほへる黒き土土はひろがるゆふぐれの国
馬の湯に居る馬七つ日照雨に背のかけむしろみなぬれてあり
 
白楊の花ひそみ咲く木にゐる鳥の影はさしつつ鳴かむともせず
根を包む落葉かけば春欄の蕾つのぐみ土をいでたり
ひるすぎてなほ下つゆの乾かざる落葉の中のりんだうの花
 
まなこあへば眼みだれて人はすぐに淋しとだにも言はましものを
夕ぐるるちまた行く人もの言はずもの言はぬ顔にまなこ光れり
掘り下げし湯室に居れば前の川を下る船あり石にふれつつ
 
いただきはいまだ萌えざる峠山幾曲がりして越ゆる道あり
苦しければ馬は人みていななけりうれしがるとぞ馬方はいふ
伊那の谷は冬あたたかき南向きの崖下水に生ふるふゆくさ
 
霜ふれば霜に枯れゆく山の上に濃きむらさきのりんどうの花
つかれたるわが袂にて重き柿机におけり袋ながらを
われこの日銭をもち居るうれしさに買ひて参らす動く鰈を
 
楢原の春の若芽に灰ふる日この間にうすき影をふみつつ
灰をかぶり林いづればうすら日に桃あかあかと咲ける原あり
ふるさとに似し夕道に火山岩こころ安けく吾が歩むなり
 
楢原の春の若芽に灰ふる日この間にうすき影をふみつつ
灰をかぶり林いづればうすら日に桃あかあかと咲ける原あり
ふるさとに似し夕道の火山岩こころ安けく吾が歩むなり
 
夜行車の手荷物室に鳴く仔犬二つなるらし二いろになく
 
〇感想
 
 今回、土屋文明の第一歌集『ふゆくさ』を読んだ。この歌集は大正14年に刊行され、明治42年文明19歳の作品から、大正13年34歳までの約16年間にわたる作品が収められている。
まず一読し、今まで抱えていた文明像からはかなり違った印象をもった。文明といえば生活即短歌という評語に尽きるように思っていたが、まったく違う新鮮な歌に出会って驚いた。
初期の歌群にあったのは、やわらかな叙情性と定型への素直な信頼である。また表現が柔らかく、言葉の運びが美しい。これは、同時代のアララギを牽引していた斎藤茂吉や島木赤彦の自然詠とはかなり印象がことなる。斎藤茂吉のような強い主観は避けられているし、島木赤彦の観照的な姿勢もない。適度に抑制された感情を乗せ明るい知性の香りがする。重々しい万葉調の韻律はなく、軽やかなリフレインが散見する。そしてリフレインすることで、微妙に変奏し、転調していく意味がここよい詩情を立ち上げている。こういう技巧は現代短歌でも結構用いられているように思う。
はじめから上手い歌人だったのかとあらためて感心してしまった。
 また、後期になると内面性に視点をおく作品や、乾いた都市詠が散見するようになる。自分の意識のありようを見つめようとする理知の力がそこに強く働いているように思える。何を見るか、何を歌うかという選択に強く操作が施されている。ここに、この歌集の初期と後期との境がある。
 文明は明治15年生まれの齋藤茂吉よりも8歳年下である。『赤光』が出た大正2年には東京大学に入学し、近代文学の旗手となる芥川龍之介菊池寛らと出会い、自らも小説や戯曲を発表している。また、大正5年には「ペルシャ神話」を翻訳出版している。こうした時代経験が文明の素地になっていく。特に「ペルシャ神話」への傾倒は文明に美学・社会学・心理学などへの視野を開き、深い内面性を獲得する契機になったことは容易に想像できる。
 
第2歌集以後、文明は迫真的なリアリズム路線へ走ってゆくことになる。そのための深い泉がこの第一歌集には湛えられているようだ。アララギの台頭と他の流派とのせめぎ合い、またアララギの中で激しい軋轢があった大正期は、近代短歌のもっとも勢いのある時代だったともいえるように思う。さらに近代短歌の道行きを眺めてゆきたい。