眠らない島

短歌とあそぶ

藤井啓子 第一句集 『輝く子』


夜は星のために湧きたる清水かな   
 
藤井啓子句集『輝く子』が出版された。藤井啓子は「ホトトギス」同人であり、平成7年には日本伝統俳句協会新人賞を受賞し、また朝日俳壇年間賞を二度にわたって受賞している実力派だ。今回はこの作者の第一句集であり、実に38年にわたる作品を一冊に収めている。満を持しての出版ということになろう。
私は、俳句については門外漢であり、確かなことは何一ついえない。ただ、俳句は作品の独立性が際立つ形式である。短歌に比べてのことだが、世界の切断の鋭さが尋常ではない。衝撃力が強い分、たくさんの作品が並んだ句集を一冊読み通すのはかなり忍耐力を要すると感じてきた。ところが、『輝く子』を読み始めると、抵抗なく作品の世界に入り込んで行く。読み進むに従って心地良い求心力によって、またたくまに最後の句までたどり着いてしまった。これが俳句としていいことなのかどうかは置くとして、一冊の句集を読むことの楽しさを味わえた。それはまるで美しい叙事詩を一度に読み通したような充実感だった。
この本には読者を引き込んで行く豊かな時間の土壌がひろがっており、そこには確かな輪郭をもった作者像が立ち上げられている。ここには藤井啓子という〈私〉に即した句が詠まれている。
 
みどり児の目はまだ見えず秋灯下   
教室にこもる匂ひや冬に入る
父のもの母のものなき冬支度 
 
くっきりと母であり、教師であり、そして両親を愛する娘としての主人公が見える。その〈私性〉が、独立性の強い俳句をつなぐ縦糸として40年に及ぶ歳月を織り上げている。そして、一句、一句に封じ込まれた季語から立ち上がる季節と人事が横糸となり、あざやかな歳月の肌理を見せている。こういう句集も可能だということを知り、あらためて〈私性〉の魅力ということを思った。
それにしても、やはり抒情詩としての完成度が高くなければ、読者をここまで引き込むことは困難だろう。冒頭に挙げた句は、星空を詠みながら夜を清水に見立てる清冽な浪漫性が見事だ。句集中には鮮やかな自然詠がふんだんに織り込まれている。
 
六甲のここは時雨の通り道 
人消えてゆく萩の中風の中
冬晴れといふきらめきは海にあり 
まつすぐな秋まつすぐな針葉樹  
小豆島とは万緑のひとしずく  
 
どの句も、一瞬の風景のかがやきを捉え、巧みな言葉の斡旋により上質な抒情を生み出している。溢れる詩情がこの作者の真骨頂のようだ。
 「ホトトギス」といえば、高浜虚子以来の花鳥諷詠の伝統を守ってきた。ただ、最近の大災害をもたらす巨大な自然の存在をどう詠むのか、大きな課題と思われる。自然をいつも「花鳥諷詠」の対象として求めるのには限界があろう。この句集ではそういう現代的な課題にも果敢に挑戦している。
 
震源地すぐ目の前にある寒さ 
地割れせし大地下萌始まりし
たんぽぽに立ち止まりたる焦土かな 
 
 阪神大震災の体験を詠んだ連作「ああ生きてをり」から引いた。過酷な体験をモチーフとして詠み上げた30句は、スピード感を孕み、読み応えがある。震災という生と死の極限に立ちながら、命を見据える視座が底光りする言葉を紡いでいる。また、慰撫されるだけではない厳粛な自然観が認識されていることに胸を打たれた。どんな局面においても前向きな希望を失わないこの作者の好日性は読者の気持ちの負担を軽くする。
 
 春そこにつらき時ほど目を上げて  
 
作者は、38年間にわたる教職を退職したという。既にこの作者の中にゆっくりと熟成してゆく時間が始まっている。さらに、新しい世界が開かれてゆくのが楽しみだ。
 
時雨るるや我もなにはの一過客