眠らない島

短歌とあそぶ

近代短歌を読む会 第11回 斎藤茂吉『赤光』


 にんげんの赤子 ( あかご ) ( お )へる子守居りこの子守はも笑はざりけり
 
 「赤光」が発行されたのは大正二年。このころ歌壇のなかで斎藤茂吉の名前はすでにかなり知名度があったようだ。第一歌集を出すにあたって、茂吉は焦らず、環境が十分に熟するのを待っていた。初版版『赤光』は「悲報来」「死にたまふ母」「おひろ」といった高揚した連作から一息に時間をさかのぼってゆく。茂吉は自信をつけたはずだ。この三つの連作は茂吉が試行錯誤してきた「いのち」へ直接性がもっとも高揚し、拡張の高い調べを獲得している。
 
 しかし、このたびは改選版『赤光』で読み返してみて、茂吉がどのように自分の歌風を打ち立ててきたか実感できた。かなり多くの歌が改作されているものの、歌風の変化は消しようもなく、「自分の歌を詠む」ことへの苦闘のあとがありありと見られる。その時期の作に、『赤光』の魅力的な作品を発見することができた。
 
 印象的なのは、自身の湿潤な歌いぶりを脱却して、より乾いた感覚的な表現を目指していた明治四十四年ころから大正元年までの歌である。このころは、観潮楼歌会での交流から、森鴎外、木下杢太郎、阿部次郎など傑出した知性との交流がある。また歌人では、前田夕暮北原白秋などから、茂吉の歌風がその近代的な感覚に洗われる。
 といっても、さすがに茂吉の表現はその密度と衝撃性において目を見張るものがあるように思う。茂吉はこのあと、再び本来の浪漫性へ回帰してゆくが、このエコールをとおしてその表現が確かに近代性を獲得したこと間違いない。冷めやすい青年たちのなかで、ひとりわき目もふらず短歌の内実を高めようとする茂吉は、彼なりに孤独に文学という暗黒と戦っていたということだろう。

〇報告

引用歌は改選版『赤光』による
参考 柴生田稔 『斎藤茂吉伝』
   玉城徹『茂吉の方法』その他
   
 
【空想性】【抽象性】【残虐性】

2 地獄極楽図  明治三十九年
( いひ )の中ゆとろとろと ( のぼ )る炎見てほそき ( えん ) ( く )のおどろくところ
   
地獄の残酷性  具象的で感覚的  感覚に対する関心
作者の表現しようとしている世界そのものの抽象性  
永遠に停止してしまった刹那
 
・赤き池にひとりぼつちの真裸のをんな亡者の泣きゐるところ
  茂吉の空想性
 
【なまなましい心情表現・異様な感覚】
4 折に触れて 明治三十九年作
・生きて来し丈夫 ( ますらお )がおも赤くなり ( おど )るを見れば嬉しくて泣かゆ
凱旋 ( かへ )り来て今日のうたげに酒をのむ海のますらをに髭あらずけり
 
【空想性・知的な関心】
5 虫 明治四十年作
・ヨルダンの河のほとりに虫無くと ( ふみ )に残りて年ふりにけり
 
【濃密な風景描写・写実への糸口】
7 苅しほ   明治四十年
・ふゆの日のうすらに照れば竹群 ( たかむら )寒々 ( さむざむ )として霜しづくすも
 
【しみじみとした叙情】
10 雑歌 明治四十一年作
・あかときの ( はたけ )の上のうるほひに散れる桐の花ふみて来にけり
青桐 ( あおぎり )のしみみ広葉 ( ひろは )の葉かげよりゆふべの色はひろごるらしき
 
【おおらかな写実・主観的な表現】
11 塩原ゆき  明治四十一年作
・かへりみる谷の紅葉の ( あき )らけく ( あめ )にひびかふ山川の鳴り
( おや ) ( うま )にあまえつつ来る ( こ ) ( うま )にし心動きて過ぎがてにせり
 
【本来の浪漫性】
12 折に触れて  明治四十二年作  
・かかがまりて見つつかなしもしみじみと水湧き居れば砂うごくかな
・萱ざうの小さき萌を見てをれば胸のあたりがうれしくなりぬ
 
【エゴ】
14 分病室  明治四十二年作
隣室 ( りんしつ )に人は死ねどもひたぶるに ( ははき )ぐさの実食ひたかりけり
 
【空想への傾向】
明治四十三年  15 田螺と彗星
・とほき世のかりょうびんがのわたくし児田螺 ( たにし )はぬるきみづ恋ひにけり
 
【心的状態を表す叙述・心理的表出をする言葉の模索】
牧水「別離」の影響 
 
2 をさな妻
・墓はらのとほき森よりほろほろと ( のぼ )るけむりに行かむとおもふ
・木のもとに梅食めば酸しをさな妻ひとにさにづらふ時たちにけり
                 
 
【生の愛惜の積極的傾向】
明治四十四年
阿部次郎の理想主義・内生活直写の文芸 内面真実の追求
木下杢太郎(ネオ・ロマンチズム)の影響・造型的表現・詩的表現
「悲哀に似る一種の気分」鴎外
茂吉(生きのあらはれ)に影響    
作者の心と離れている技巧は何の力もない
 
【近代的歌境】
3 うつし身 
・いとまなき吾なればいま時の間の青葉の揺れも見むとしおもふ
・やはらかに濡れゆく森のゆきずりに ( い )きの ( いのち )の吾をこそ思へ
・森かげの夕ぐるる田に白きとり海とりに似しひるがへり飛ぶ
 
長い主語を、主語として反省しておいて、ようやく「ひるがへる」に飛ぶ。
夕暮れの暗い空にひるがえる白い鳥が、作者の心を解き放つ。心の救済を表現。青春のロマンティズム(玉城徹「茂吉の方法」)
 
 
 
「今の僕はひとりで歩もうとしている」
牧水・夕暮・啄木・晶子・白秋・勇の影響
白秋の内面にみずからを置いて、その真実性を説く方向
夕暮「陰影」地味な真実性
夕暮からの高い評価を受ける
「隙のない洗練された用語・邪念無き素朴な人柄」「現代の歌壇に渋い光を放っている」  
 
2木の実
・しろがねの雪ふる山に人かよふ ( ほそ )ほそとして ( みち )見ゆるかな
・赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり
  現実の生のなかの偶然の衝撃
 
4木こり
・みちのくの蔵王の山のやま腹にけだものと人と生きにけるかも
 
5犬の長鳴
・長鳴はかの犬族 ( けんぞく )のなが鳴くは遠街 ( をんがい )にして火かもおこれる
 
7 折々の歌
・をさなご児の遊びにも似し ( あ )がけふも夕かたまけてひもじかりけり
10狂人守
・うけもちの狂人 ( きょうじん )も幾たりか死にゆきて ( おり )をりあはれを感ずるかな
・くれなゐの百日紅は咲きぬれど ( こ )のきやうじんはもの云はずけり
 
【牧水的な湿った叙情から夕暮の乾いた感覚へ】
根本は心情を表すことであるが、「いのちに直接であれ」「感覚に直接であるあらわしかた」「いまだ感覚の道程にある心的状態」を「鮮やかに表す仕方」
 
12  郊外の半日
・今しがた赤くなりて女中を叱りしが郊外に来て ( さむ )けをおぼゆ
・トロッコを押す一人 ( いちにん )の囚人はくちびる赤し ( われ )をば見たり
 
13葬り火
・自殺せし狂者 ( きょうじゃ )の棺のうしろより眩暈 ( めまい )して行けり道に入日あかく
上野 ( うへの )なる動物園にかささぎは肉食ひゐたりくれなゐの肉を
おのが身しいとほしきかなゆふぐれて眼鏡 ( めがね )のほこり拭ふなりけり
14
・自殺せる狂者をあかき日に葬りにんげんの世に ( おのの )きにけり
けだものは ( たべ )もの恋ひて啼き居たり ( なに )といふやさしさぞこれは
 
・18 折に触れて
ゴオガンの自画像見ればみちのくに山蚕殺ししその日思ほゆ
 
大正2年
 
「僕の歌から湿潤の気が失せたのは、僕にとっては歓喜の一つである」
しかし、どうしても「しみじみ」から逃れることはできない。
感覚的表現への努力も、横溢する叙情の流れのなかに溶け込む
「おひろ」「死にたまふ母」
 
1ざんげのこころ
( あか )電車 ( でんしゃ )まなこ ( と )づれば遠国 ( おんごく )へ流れて ( い )なむこころ湧きたり
2根岸の里
・にんげんの赤子 ( あかご ) ( お )へる子守居りこの子守はも笑はざりけり
3きさらぎの日
平凡 ( へいぼん )に涙をおとす耶蘇 ( やそ )兵士 ( へいし )あかじやけつを ( き )つつ来にけり
本来の浪漫性・主情性へ
6 おひろ
代々 ( よよ )木野 ( ぎの )をひた走りたりさいしさに ( い )きの ( いのち )のこのさびしさに
・彼のいのち死去 ( しい )ねと云はばなぐさまめ ( われ )の心は云ひがてぬかも
7 死にたまふ母
吾妻 ( あづま )やまに雪かがやけばみちのくの我が母の国に汽車入りにけり
・おきな草 ( くち )あかく咲く野の道に光ながれて ( われ )ら行きつも
8みなづき嵐
・どんよりと空は曇りて居りしとき二たび空を見ざりけるかも
10 七月二十三日
・めん ( どり )ら砂あび居たれひつそりと剃刀 ( かみそり )研人 ( とぎ )は過ぎ行きにけり
・たたかひは上海 ( しゃんはい )に起り居たりけり鳳仙花 ( あか )く散りゐたりけり
感覚的表現
11 悲報来
・ひた走るわが道くらししんしんと怺へかねたるわが道くらし
・氷きるをとこの ( くち )のたばこの火 ( あか )かりければ見て走りたり