眠らない島

短歌とあそぶ

第7回 近代短歌を読む会 『みだれ髪』

与謝野晶子『みだれ髪』を読む

参加者の三首選より
 
〇好きな歌

ほととぎす嵯峨へは一里京へ三里水の清滝夜の明けやすき

繪日傘をかなたの岸のくさになげわたる小川よ春の水ぬるき

ゆふぐれを籠へ鳥よぶいもうとの爪先ぬらす海棠の雨

なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな

牛の子を木かげに立たせ繪にうつす君がゆかたに柿の花散る

うらわかき僧よびさます春の窓ふる袖ふれて経くづれきぬ

かたちの子春の子血の子ほのほの子いまを自在の翅なからずや

のろひ歌かきかさねたる反故とりて黒き胡蝶をおさへぬるかな
 
〇問題作についての議論

●君さらば巫山( ふざ)の春のひと夜妻 ( よづま )またの世までは忘れゐたまへ
 
  明治34年2月の晶子が鉄幹にあてた書簡に記された歌。現実の恋に思いつめた晶子の苦しい心情が「またの世までは」という表現に込められている。晶子の歌は省略が多い。ここでも「来世で再会するまでは私のことは忘れてください」という意であるが、それを押し縮めて切迫した歌いかたになっている。恋をすることが、自分の生きる証しとして認識されるまでの激しい苦しみを歌い上げている。
 『心の花』ではこの歌を取り上げて「猥行醜態を記したる所多し人心に害あり」として酷評している。そのような拒否反応を巻き起こすほどの時代的な意義があったことになる。
 
●このおもひ何とらむのまどひもちしその昨日すらさびしかりし我れ
 
 「何とならむのまどひ」のように「の」を使った強引な連体形のつなぎ方が目に付く。言葉が詰まって、意味が取りにくい歌が多い。
しかし、文法をねじ曲げても表現しようとする溢れる思いがこの切迫した声調に響いている。また「何とならむ」というような口語的な表現に、ある種の生々しさがあり、「みだれ髪」特有のエネルギーを感じる。
 
●夜の髪の朝のり帰る羊とらへちさき枕のしたにかくさむ
 
この「羊」とはおそらく恋人・鉄幹をイメージしているのであろう。「羊」という語が西洋風で面白い。キリスト教の影響も考えられる。のちに晶子は「羊」を「馬」と改作するが、この歌の方がロマンチックでよい。改作はわかりやすくする意図があるが、かえって魅力を喪失しいている。
 
●しのび足に君を追ひゆく薄月夜右のたもとの文がらおもき
 
晶子は旧派の和歌を学んでから、その歌風を大きく変革してゆく。旧派の和歌は主に七五調であり、結句の四・三調、字余りは忌避された。しかし、明治30年ころから、晶子はこのタブーから解放されてゆき、意識的に変則的な歌を作るようになる。ここでも「文がら・おもき」とある。詰まった感じもあるが、このリズムは結句に新鮮味が出て、古雅になりすぎない効果がある。晶子が旧派の歌から、声調の面でも変革を試みようとしていたことがわかる。
 
●なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな
 
晶子の歌は全般に言葉の解釈がむずかしい。新体詩だけではなく漢詩の影響も随所に見られる。そんななかでもこの歌は韻律も、イメージも美しい。西行の「秋の夜の室に出づてふ名のみして影ほのかなる夕月夜かな」を思わせ、典雅である。
また晶子は言葉のパワーをよく心得ており、最大限の効果を発揮したとき、優れて絵画的な造型を現前させる。研ぎ澄まされた美意識が感じられる。
 
 
〇感想
 
 晶子の感情を抑えずに真っ直ぐに歌に盛り込む方法は、同時代の根岸派の歌い方とは正反対であり、近代短歌の二つの方向が明治34年の時点で明確にあったことに感慨深いものがある。この二つの歌い方は現代でも同じく両立しているのではなかろうか。
23歳の女性が、現実の恋愛をモチーフとして精一杯の新しい用語を駆使しながら歌い上げている。こなれない用語やイメージ先行の表現も多いが、詠うことと自在に生きることが等価であった若い時代のエネルギーがここにある。恋愛がこうも意志的なこととして捉えられていたことに改めて驚く。

晶子の歌は意味が分からない飛躍のある歌が多い。にもかかわらず、当時、10代の文学少年少女たちをとりこにしている。おそらく意味が分からないからこそ、その神秘的な言葉の美意識に惹かれることがあったのだろう。このことも、詩の本質として見逃せない一点である。