眠らない島

短歌とあそぶ

野村詩賀子 第三歌集 『地蔵堂まで』

 
 わたくしは水 きょうの水 近づけば近づくほどに夏の逃げ水   
 
 
 野村詩賀子第三歌集「地蔵堂まで」を読んだ。歌集のなかには母を看取り、さらに愛娘を失うという過酷な体験をする一〇年あまりの時間が流れている。家族の死はきわめて個別的な体験でありながら、同時にだれにでも訪れる普遍的な悲しみでもある。それだけに近しい人の死を詠むことはたやすく、確実に抒情を誘い出してしまう。そんな理由からか情が過剰になりすぎる挽歌に閉口することもある
 しかし、この作者の場合、自分の悲しみに形而上的な思念をとおして向き合おうとする。そして、そのような悲しみの避けられない人生という時間とは何なのかを理性でもって問い続ける。この歌集一冊が、作者の思索の跡をこまやかに記録している。巻頭に挙げた歌は、編年体に組まれた歌集のほぼ初めのあたりから引いた。この歌は作者の資質をよく表しているように思う。水は本来、形を持たない。水と同化するのではなく、日々変容していく意識として自己を喩化している。そこには強い自我意識が見えてくる。理性によって現実を、また自分を襲った悲しみを再認識しようとする姿勢は歌集全体のモチーフになっているようだ。
 
   山茶花の一輪咲きて〈諦める〉とは明らかにすることならん   
 
 歌集の掉尾から引いた。初冬の澄んだ空気のなかに一輪咲く山茶花。そのシンプルな景から触発されて「諦める」ことは「明らかにすること」だという感慨を引き出している。「明らかにする」とは、おそらく苦しみや悲しみに意味を与えていく作業をさすのだろう。自分に降りかかった不条理や運命を、言語化することで辛うじて受け入れる。それは自分の中に小さな物語を紡ぎ出すことでもあるのかもしれない。長い時間をかけて「言語化」することが作者の精神世界を形成してきたのであろう。
 
  世はみんな〈頑張らなくてよい〉と言うわたしのどこかキシンと鳴れり   
 
 歌集の前半部でこの歌に出会ったとき、どきりとしつつ共感した。〈頑張らなくてよい〉という最近の言説への違和感の表明が「キシン」という擬音語に適確に捉えられている。耳に心地よい言葉にどこか欺瞞が透けて見える。そう感じるのは作者ばかりではないだろう。しかし、頑張ってしまう自分への肯定感にどこか危うさも感じさせられる一首だ。
 
 
  この世にて汝を失くしし悲しみはフィヨルドの濃き碧と思う  
  もう多く見たると思うこの目にもさらに見よとぞ氷河は迫る   
 
 歌集後半には、ヨーロッパへの旅の歌が散見する。西洋の風土に触れて作者の「認識」する言葉への傾斜はより加速されていくように思われる。ここで引いた二首はおそらく北欧の旅で得た歌であろうが、厳しい自然の景観の前で、その自然に圧倒されるというより、むしろあらためて喪失感を反芻し、そして生きることの厳然とした「孤独」と向き合っているように思える。ここでの氷河は実存そのものの姿であろうか。
 
  年たけてめぐりあいたるよろこびはエックハルトシモーヌ・ヴェイユ   
 
 歌集を読みながら、「知」は人を救うのか、というような素朴な疑念がよぎってきた。この作者は悲しみを乗り越えようとあまたの哲学書や西洋の古典文学を探索する。悲しみや苦しみは一人の個人にとってはいつでも不条理なものゆえ一層耐えがたい。それを「知」によって整理し、意味を与えることで、道筋が見えてくる。しかし、また言葉は自意識を拡大もする。そして自意識という孤独の檻に閉ざされることにもなる。歌集に続出する賢人たちの名前に触れながら、その人たちが抱え込んできた絶対的な孤独につい思いがいった。
 
  ふと肩の力を抜いている我に嬉しくなりぬ萩ゆれる道       
  散文のようなひと日が暮れゆきて蚊遣りは白き渦を巻きゆく    
 
 歌集後半にきて、このような歌に出会う。現実の前で無防備になり自意識を緩めている。特に二首目の「散文のようなひと日」という喩から翻して「韻文」の息苦しさをこの作者はよく感知していると思う。定型という秩序のなかで言葉は自由にもなれば、翼を失われてしまうのかもしれない。ここではほどよく緩んだ意識と言葉が絡みあっているようで心地よい。
 
  電車待つ男の首に流れいし怒りのごとき汗思う夜半    
 
 再び、歌集の前半に戻る。悲しみを真っ直ぐに詠んだ歌が並ぶ中で一首目のような作品が目を引く。男の首に流れる汗を「怒りのごとき」と把握する研ぎ澄まされた知覚にはっとする。怒りとは孤独な感情だ。行きずりの一人の見知らぬ男に己と同じ孤独の苦しさを透視している。このように人を見つめる目の確かさは、そのまま自己凝視の鋭さにもつながるのだろう。この先、この作者の自己凝視の力がさらに深まりを見せる歌に出会うのが楽しみである。
 
  わたくしの頭がひとつものうげに電車の床に落ちている 午後