眠らない島

短歌とあそぶ

塩野淑子  『合歓街道』


乳いろの湖霧(うみぎり)かぜに流れゆき岸の枯れ葦ぬれて撓めり
 
 塩野淑子さんは未來短歌会、桜井登世子選歌欄に所属されている。後書きを読むと、1993年に夫君を亡くされ、それをきっかけに短歌を始められたという。歌作を始めてから、20年近い歳月の中で、さまざまな人の死と向き合うことになる。この歌集は、そういう意味で広い意味での挽歌集ともいえる。その悲しみは、琵琶湖の風光に洗われて次第に浄化されてゆく。ことさらに、悲嘆を言葉に溢れさせるのではなく、抑制を利かせた文体のなかに悲しみは自然な韻律を得て読む者に伝わってくる。琵琶湖を巡る自然の時間の中で、作者は何度も生き直し、自らの言葉を掴みとってきたようだ。
 
ほの温き夫のみ骨を抱きおれば近江はひとつの日溜まりのなか  
 
耐えがたい死の悲しみをこのように受け入れる姿勢を持つまでには、かなりの時間が必要だったことであろう。しかし、この歌に出会ったとき、その悲しみに慰められるような感動が起きた。それは、近江という長い歴史と風土のなかで、個的な死が普遍化されているからだろう。深い認識を得て、その思いを平易な言葉にすることは簡単なことではない。この作者の気負いのない心情がこの歌を詠ませたとも言える。
 
雷鳴に戦く犬を抱きたり獣の貌(かお)の細く小さき   
日食に昏みし四方も知らぬ気に材木店は木材を引く  
笛が鳴り倒立に入る 倒立に遅るる児らのかそかなる音   
 
 この歌集には、挽歌的なモチーフだけではなく、見巡りの風物への豊かな視線が歌に詠まれていて、それがこの歌集を風通しのよいものにしている。一首目、飼い犬であろうか、雷鳴に脅える犬を抱いたとき、命の温もりを感じている。それを「獣の貌の細く小さき」と特色だけで押さえることで生き物の哀切さがよく表現されていて印象的である。二首目、日食を詠みながら、そこに静かな人の営みを重ねている。「材木店は木材を引く」とこれも簡潔な描写が生きている。三首目、運動会の場面。組み体操を観ているのか。華やかな子供達の動きよりも、倒立に失敗した子供たちに作者の目は注がれている。こういう場面をどう歌に詠むのか、技が問われる。この歌には技巧を目立たせずに実に鮮やかに、その場の雰囲気を切り取っている。時系列で単純に描写しながら、「かそかなる音」で世界を暗示している。視覚から音を聞く感覚への転換が鮮やかだ。
 
 歌集を読み進めていくと、作者には若い母親であったとき、長男を失うという大きな喪失体験があることも明らかにされてゆく。その悲しみは作者の長い生涯において、精神世界に深い谿を形成していったことであろう。一見、不条理な運命もすべてこの世の自然な営みである。そういう静かな諦念がこの作者の世界に向かう姿勢を敬虔なものにしている。この歌集には静かな魂が琵琶湖の風物に溶け込んでいく時間がきらめいている。
 
蒼ふかき湖面に合歓の紅ゆらぐかかる孤独を愛して生きむ