眠らない島

短歌とあそぶ

江戸雪  第六歌集  『昼の夢の終わりに』



北浜のインド料理の店までのとちゅうで雨が降りだしていて    
 
『昼の夢の終わり』をここ数週間、何度も繰り返し読んだ。繰り返し読めば読むほどに心地の良くなる歌集だった。どの歌にも心の風船があって、柔らかくふくらんでいるような空気感がある。そして大阪にはこんなにたくさんの川があり、そこに生活があることも実感させられる。意識がいつも外界に向かって開いている。
歩行している感覚が都会という空間がかもしだす生命感をいきいきとつかんでおり、読むものの心を無理なく誘い込んでくれる。冒頭に掲出した歌は特に目立った作品ではないが、何故か心に残った。北浜という地名もいいし、インド料理の店に行くというのも具体的でカレーの匂いが立ち上がるようだ。そしてこの歌の中のささやかな行為はまだ現在進行中であり、未完であることによって、不思議なやすらぎをもたらしている。現在という時間に幅が生まれ、ここにあることを静かに許容されているような感じを共有することができる。
こうした意味付けされていない時間を言葉におきかえようとすると、途端に世界は硬直した表情に変わってしまう。そのこわれそうな感覚を実にやわらかな言葉で差し出してくれる。そのコットンのような肌触りが心地いいのだろう。
 
冬の日に香の焚かれる魚屋のてっさ冷たくすきとおりゆく   
ひきだしが引き出されたまま水仙の一筆箋に陽がさしている   
 
感情の水位がどちらかというと低めでありながら、湿った感じはない。歌集全体の構成もゆるやかで、主題意識がうしろに退いているので、どの歌も時間をかけて読むことができる。一首目、魚屋の店頭に並べられた「てっさ」の美しさが印象的にスケッチされている。商店街の香りがそのまま読者に渡されて街の生活の温もりを伝えており、歌に開放感を与えている。二首目も、感覚の冴えた美しい一首。陽の射し込む部屋に引き出されたままの引き出しは、そこにさっきまでいた人の不在を暗示しているし、水仙の一筆箋はそれを使って書かれたであろう言葉やそれに籠められた思いを連想させる。静かなワンシーンでありながら、確かに人がいて生きている時間がここにはある。
こうした手堅い写実詠で下支えされながら、躍動感ある歌がこの歌集を明るい印象にしている。
 
ざぶとんになろうあなたが疲れたらあほやなあってふくらむような  
淀川の縁にて食める焼きそばのああかつおぶしが飛んでいくがな   
 
一首目、大阪弁のおおらかさをうまく使って、やわらかな感情を表現している。この歌集前半では病気という厳しい現実を真っ正面から詠む作品も多い。そこから後半になるにしたがって、こうした蘇生感のある歌が生まれてくる。二首目も、実にのびのびと言葉が踊っている。食べ物を詠むことはこんなにもいきいきとした歌を生むのかと感心させられた。また、下句からは、風に飛ばされてゆくかつお節のほのかな切なさが浮き上がるようで上質な哀しみを詠んでいる。これも作者が切り開いた独自の豊かな歌の世界だと思う。
 
全体に感情と言葉がうまく絡まっている。言葉が先でもなく、感情が走り過ぎてもいない。それでいて、歌集を読み終えると、こころの深部に杭が打ち込まれている感じがくる。やわらかな口語調に深い情感を載せることができる呼吸のようなリズム感がこの歌集にゆたかな表情を与えている。
 
さびしくてもう松ぼっくりになろうかな土佐堀通りをしばらく歩く