眠らない島

短歌とあそぶ

堂園昌彦第一歌集 『やがて秋茄子へと到る』

 
 
泣く理由聞けばはるかな草原に花咲くと言うひたすらに言う
 
堂園昌彦「やがて秋茄子へと到る」をやっと読むことができた。というのも、ここ数年、堂園昌彦の「やがて秋茄子へと到る」の連作を通読できる日をずっと持ち望んできたからだ。この作品は、2007年に短歌研究新人賞最終候補になっている。ほかでもない、この私も同じ年、最終候補に残ることができたのだった。ところが、拙作は候補作のびりで、選評も掲載されておらず落胆してしまった。しかし、気を取り直して受賞作から候補作を通読しながら、またたくまに堂園昌彦の10首ほどの抜粋された作品に魅せられてしまった。自分の作品のことなどどうでもいい。この堂園の作品の全てを読みたかった。確か岡井隆が堂園作品を絶賛していた記憶がある。そして、このたびようやくその全容を知ることができた。読んで、やはり期待どおりであった。一読したときに感じた、「滅びの美」がそのまま保存されている。天上界から地上を眺めているような神聖な視線が、まるですべてを失った後のようにかぎりなく切ない。
 
 みんな差し出された夢の蜜柑を受けとってみんな愛する夢の終わりを   
 
この歌には作者の世界への愛惜と諦念が実に的確に表現されているように思う。生きていることは、いつかは消える「夢」であり、それは運命のように何物か、から手渡されている。「蜜柑」という懐かしい色が、そのはかなさを許すように包んでいる。
 
 草の実の赤くこぼれて原稿を夢の中では夢のように書く
 
上の句の景がしっとりと下の句の情感にリアリティを与えている。「夢の中では夢のように」という距離感が深い詩情を立ち上げているのだろう。この稀有な詩情によって、生きることが浄化されていく。この歌集のなかのどんな行為も、懐かしく感じられるのは、すべての営みが取り返しようもなく、過ぎてしまったことのように描かれているからかもしれない。
 
 いつか詩がすべて消えても冬鳥のあなたに挨拶をしたい
 ゆっくりと鳥籠にもどされていく鳥の魂ほどのためらい
 
一首目、「詩」という美しささえいつかは消えてしまう。すべて移ろいゆく世界の果てになおかすかに繋がるものを希求する。二首目の「鳥籠」にもどされる「鳥」はすでにこの世界そのものを失っている。その鳥のような最後の「魂のためらい」をこの歌は掬い取っている。えりすぐられた歌群の数は195首。しかし、1首、1首たっぷりとした時間をはらんでその遥かな美しい奥行きに圧倒されるばかりである。
 
 
  春の船、それからひかりを溜め込んでゆっくり出航する夏の船