眠らない島

短歌とあそぶ

土岐友浩編集発行 短歌同人誌「一角」

 
「うた新聞」12月号掲載「現代短歌2013この1年を振り返る」は読みごたえがあった。とくに谷村はるかの「土地を歌う」は新鮮な視点を提示していて、注目して読んだ。「今、現代人の感情生活の精髄は地方にあると断言していい」というフレーズに瞠目させられた。この谷村の文章に触発されて気になっていた雑誌を再読した。11月に発刊された短歌同人誌「一角」は、福井県小浜市に居を移した土岐友浩が編集発行人である。
大森静佳、川島信敬、小林朗人などの若手の作品20首が精彩を放っていて、何度読んでも飽きない。なかでも今回注目したのは編集人である土岐友浩の作品である。
 
靴ひものような何かが干してある商店街を吹き抜ける風
やり方は知らないけれど春先のゲートボールをころがるひかり
乗客は乗り込んだのに雨の日のドアをしばらく明けているバス
かつてこの道を歩いていただろう籠をときどき頭にのせて
 
一首目、漁師町の潮の香りがただよってくるようなさりげない一首。「靴ひものようななにか」という比喩にうらさびれた町の空気とそこに住む人の暮らしへの眼差しがやさしく交差している。2首目も、高齢化している地方都市の情景を、かまえずに力を抜いた柔らかな表現でスケッチしている。3首目なども、小都市に流れる、ゆったりとした時間を雨のにおいとともによく捉えている。そして4首目は、かつて京都への物流をになった鯖街道への郷愁か。「籠」という名詞が美しい。それにしても町の名前や固有名詞は全くつかわずに、地方都市の情景に感情をうまく乗せてゆくリズムが心地よい。過剰に意味をかぶせない姿勢がかえって読者の共感を誘い込んでいる。
 
海に来て何もできずに立っている海の生きものではない僕よ
 
巻頭歌で言挙げしているように、主体の意識はあくまでもこの町においても部外者であり、いつかは通り過ぎてゆくというクールな認識がある。距離感を抱えていても、この町での暮らしはまぎれようもなく始まっている。
 
もうひとりではなくなって青々と苔のひろがる神社をあるく
 
あたらしい暮らしへの期待と一抹の不安が連作の主調音としてながれている。この意識の陰翳が視線とかさなって実感をともなった町のすがたを見せてくれる。なかでも掉尾の一首は捨てられる水が奇跡のように美しい。
 
発砲スチロールの箱をしずかにかたむけて魚屋が水を捨てるゆうぐれ