眠らない島

短歌とあそぶ

『遊子』 第21号

 
 『遊子』第21号を読んだ。特集として組まれた久野はすみ歌集『シナマ・ルナティック』評論はさまざまな観点からこの歌集を読み解いており、あらためてこの歌集の魅力にふれることができた。特にゲストの江戸雪の評は久野の特質を正確に言い当てており、納得させられた。江戸はその文章を次のように結んでいる。
 
多くの歌人たちは一首にそれぞれの深い思いをこめようとする。しかし久野はすみにとって短歌は悲しみの器でもなく、喜びの歓声でもなく、苦しみの吐露でもなく、幸福の標しでもないようにおもえる。久野はすみにとって短歌とは「場所」なのかもしれない。久野はすみの真実の物語が語られる「場所」。私はそのような真摯で潔い短歌に出会えて幸せである。
 
最後の「真摯で潔い短歌」とは江戸雪自身の歌について解説しているようにも思える。おそらくどこか資質として共通するところがあるのだろう。
久野にとって短歌とは「場所」であるという指摘は鋭い。久野は空間的なイメージを鮮やかに紡ぐ名手である。その資質が久野の歌に明晰で明るい印象を与えている。歌集はよく読者を意識して構成されており、演劇のような見せ方によって支えられている。読者は読み進むにつれて自在な言葉に魅了されてしまう。鮮やかで軽快な物語をよみすすむような爽快感がある。しかし、その「軽み」はこの歌集のアキレス腱にもなっている。その点を渡部光一郎は「時に明晰に過ぎるところ」と指摘している。そして「その本領を発揮するのはおそらく次の歌集なのだと思う」と書く。こうした多岐にわたる評論を読み、久野はすみの歌の今後の変化について思うところがあった。
 
今回の誌面に掲載されている「鳥はどこで」の連作には、早くも変化の兆しが現れているように思える。
 
古書の函すこし汚れて届く日は泣いている人の背中を思う
干し柿の蜜の甘さのねばついて欲しいものから手をはなしたり
酢醤油にひたすシウマイ声低く妻のはなしをする人といて
鳥はどこでないているのかしあわせかさやえんどうをたまごでとじて
黒板をていねいに拭く人だろうわれの湖水をやさしく揺らす
 
ここに引いた五首には、どこか心理的な陰翳が刻まれている。一首目、「古書の函」から「泣いている人の背中」へ心境は移行してゆく。そこには「場所」というより、歌の中に流れる「時間」性を感じさせる。二首目も久野には余り見られない、不安や、逡巡する心理が吐露されている。「欲しいものから手をはなしたり」という屈折した表現に、表面的ではすまされない深いところに触れてしまった怯えのようなものが見えてくる。三首目は「酢醤油」という小道具の利かせ方は久野らしさがでているが、「声低く」あたりは、斎藤茂吉の歌を思わせて、生きることの重苦しさを醸している。四首目、五首目は久野らしい美しい歌。しかしイメージだけで終わらない、深い感情に言葉がとどいている。この連作を読んで、久野の新しい世界がすでに始まっていることを知って感銘を受けた。
 
他の作者の作品では渡部光一郎の「荒地野菊」の連作に魅了された。言葉が丹念に練ってあり、一首一首の完成度が高い。そして連作全体に、不穏な雰囲気や、世界への違和感が一貫して流れており、粘り強い文体とそのモチーフがうまく絡んでいるという印象を受けた。
 
『荒地野菊』渡部光一郎
ながながと放流を告げるサイレンに飼犬どもも応えていたり
朝顔の鉢ごと吹かるる夕暮れの不穏は台風のみにあらねど
ハマボウフウ砂をはらって噛んでみる いくさはやって来るものなのか
 
一首目、放流を告げるサイレンの響きと犬の鳴き声を「応えていたり」という簡潔な表現でひといきに詠みきっている。そして、不穏な空間を呼び込むことに成功している。それは二首目の「鉢ごと吹かるる」という把握にもいえる。具体から心情を立ち上げていくことにおいて高度な感度があるように思う。三首目の、上の句と下の句のバランスのあやうさも、主題そのものを包含している。こういった丹念で周到な歌の作りに彫り込まれた思いを深く受け止めたいと思う。
 
その他、心にとまった歌を挙げる。
社会との関係を連作に歌い込んで読み応えがあった二作。
 
『霹靂の夏』山田消児
勝負師を自任しおればいそいそと負けいくさへと来てうつ博打
人も野もやさしく濡らす日照り雨 事前は事後の次にまた来る
 
『ペラペラと』片上雅仁
夢のなか大き画面を大型の戦車がビュッと横切り行けり 
雨の中水鳥はただ泳ぎ行くこのまま生きていてもいいのか
 
千坂麻緒の歌は、いつも地に足が付いており、構えたところがなく自在感が心地よい。どんな題材でも軽く歌に取り入れてしまう。力を抜いて自然な生活感情を流露させる詠みぶりに羨望を感じる。
 
『無用の翼』千坂麻緒
しあはせになりたいなんて嘘をつく本当に手に入るふりして
駅前の広場のみんなうつむいて激しい風が倒す自転車
心からおめでたうとは言へなくて丁寧に書く手紙の住所
 
杉田加代子の連作は母と息子がテーマ。切実な問題を孕みながら、あまり重くせず、うまく連作にまとめている。
 
『内海の青』杉田加代子
こともなく四月一日暮れゆきて職に就かざる息子よさはれ
ふたりしてコンビニに行くはをかしかろをかしかれどもふたりして行く