眠らない島

短歌とあそぶ

詩誌 『時刻表』 創刊号


神戸在住の詩人である、たかとう匡子が責任編集して雑誌『時刻表』が創刊された。20人余りの同人の作品が若々しく新鮮で楽しい。
ざっと目をとおしたばかりで、まとまった感想も書けないが、印象にのこったフレーズをメモしてみた。ずいぶん的外れなコメントかもしれないが、紹介として書き添えてみた。  
 
 
そのひとは
額に( やじり)を突き刺し
武具をざはざは鳴らせて
交差点の青い翳を雲のように渡っていった    
「くにの記憶」 白島真
 
一瞬にして古代以前の時間が現代の風景に流れ込んでくる。それは私たちの体のなかに流れる記憶なのか。民族の源流に遡り、そして押しかえしてくるフレーズが風のように心地良い。
 
体の中をかたつむりが這っている
そうあなたは言う
かたつむりは磁力を感じる石を持っていて
満月になると東に向かい
新月になると西に向かって行くそうだ     
「ムーン」 広瀬弓
 
かたつむりと月との共感のなせる逸話。それは人の命の深みへと降りてゆく行為かもしれない。日常の時間を越えて、大きな宇宙空間に引き込まれる。自意識を解き放つような膨らみがある。
 
百年の孤独』の() ( せん )を引き抜いて
なめらかな絶望の満願日に 乾杯!
 
いかなるものにも 代えがたい
この( から) ( ぽ )の 平安に包まれて在れば好い
「新しい 判断」  宮内憲夫
 
緊張した世界の片隅で、平穏であればあるほど絶望を感じずにはいられない不思議な日常へ肉薄してゆく表現の力。批評性がずば抜けている。
 
河童に似た赤児の出自は今のところ人々の口に
のって村のなかをうろつき回るようなことなく
赤茶けたからだにポツンとくっついている生命( いのち)
助産( さんば)のばあさんの腕にぎゅっと握られていた
       「迷い語り」 青木左知子
 
ついこのまえまでこんな土着的な世界でわれわれは生まれ、生きていたのだろう。
生命のどろりとした罪深さと、また生きるエネルギーか混在して黒々とした光沢が言葉にある。
 
あえかなる瞼のまま
空を見ると
墓碑のような焼却炉の並び
あれは
季節を弔っているという
蔓を絡ませながら
帰宅を待つ扉へ
植物たちの呼気が濃くなってゆく路地を
駆けたのは
影だったろうか
        「斧」 野田かおり
 
春から夏へ、そして秋へと移る季節のひかりと翳のゆらめきをすぐれて感覚的に形象化している。季節の経過のうらにある、喪失してゆく時間への愛惜の思いが美しい。
 
鉄琴を叩いているのは死者か生者か
この音が聞こえたら
狼煙をあげてくれ
手旗信号で伝えられるか
空き瓶通信を川に流し
風船に付けて空に飛ばしてくれ
         「旅の人」 田中健太郎
 
死者、生者を分ける境界を越えていやそれを同質として、はるかな何者かと繋がりたいという希求があるように思う。地上に生きているのは寂しすぎるのか。
 
切り立つ肉の襞のてっぺんには
得体のしれない光るものがある
ときおり奇妙な音がする
その海辺の街の背中の凹みに
小さな芽がでたことは知っていた
薄い布をまとって神経叢の濡れ縁に腰掛け
終日ぼんやりとすごした
          「耳凪ぎ目凪ぎ」 たかとう匡子
 
一行目から圧倒的な迫力。「切り立つ肉の襞」って何?と思う間もなく、それは光っておりしかも音までする。三行目で「その海辺の町」と出てくるので、一行目の「肉の襞」とは海岸の岸壁のことだったかと、思い直すと、「小さな芽」「神経叢の濡れ縁」という表現に出くわし、これは単純ではないとまた身構えてしまう。文脈はさりげなく自然に流れているだけに、イメージが多層にわたっているので、非現実の空間にまたたく間に引きずりこまれる。緊迫感と内圧は充分に伝わってくる。それにしても、その内面世界と対応するのかどうか定かではないが、具象が生々しくリアルな触感でもって立ち上がっている。その背景にはぶあつい不安が横たわっているように思えるのだが、どうだろうか。とにかく次々と飛んで行く語彙のスピードとハーモニーに心地良い眩暈を感じさせられた。