眠らない島

短歌とあそぶ

足立尚彦 第4歌集 「でろんでろ」

 
 
足立尚彦第4歌集「でろんでろ」が昨日届いた。
本をめくって、最初の歌から一気に読んでしまっていた。
 
言葉に必要以上にこだわらず、伝えたいものをストレートに伝えていこうする潔さが読者をひきつける力である。
妻の死に遭遇しながらも、あえて挽歌を多く入れず、その妻の死さえもドライに歌ってしまう。
そういう配慮にこの作者の歌に対する確信と、こまやかな感性を感じてしまう。
抒情におぼれず、気取った悟りもなく、じたばたしながらも冷徹に自己を見つめる視線。
足立尚彦はこの第4歌集で、成熟のひとつのありかたを示しているようにも思う。
 
いくつか、紹介してみよう。
 
 手にとれば賞味期限は亡き妻の誕生日なり納豆を買う
 
 チキンラーメンの袋に描かれてひよこは何に耐えねばならぬ
 
 なむあみだなみだみたいだなむあみだなみだみたいにぬれている月
 
 ペットボトルのラベルをはげばどこかしら遺骨のようでさらさら軽い
 
 でろんでろでろんとぶるうす弾きおればおれとう已然形ぞかなしき
 
 足音が我のテンポに左右されよそよそしくも我にしたがう
 
 一切皆空といえども寒ければ欲しくなりたるものあまたあり
 
 そんなことあんなことわすれたいことごちゃごちゃのまま死んじゃったなあ
 
 しょうもない歌しかできず真面目なる我は真面目に眠るほかなし
 
 
こうして、書き込みながらもじわりと足立尚彦という人の体温みたいなものが伝わってくる。
一見、さりげなささそうに歌うのはこの作者の羞らいであろう。
生き方は無頼派だが、嫌味な気取りはなく清潔感を感じる。
最後に引用した歌に
「真面目なる我は」とあるが「真面目」に不真面目に歌うのが足立尚彦の悲しみである。
 
また、歌のつくりはざっくりしているが言葉の選択が肌理細やかである。
「納豆」「チキンラーメン」「ペットボトル」と身近な素材をとりあげ
小道具にせずに、その特質を正確につかみだしている。
 
三首目の歌にみえる、言葉の意味をぬきとりながら深い情感を作り出す技は目を見張る。
自分の存在を含めて卑小なもの、だからこそ優しいものに目をそそぐ低い姿勢で繰り出されてくる歌の数々に魅了される時間であった。