眠らない島

短歌とあそぶ

原田彩加 『黄色いボート』

 
今日何を食べようかなあ生きているばかりの夜にすれ違う人   
 
 この歌に出会ってなんともいいようのない心の震えを感じた。それは感動といえば大げさになってしまう。さみしさや悲しさ、それもあるのだけど、それだけではない。今までこんなふうには言えなかった深くてあたたかな、ため息のような声。今日の夜に食べるものを考えるとき、それがひとりであれば、おそらく面倒だなと思うかもしれない。でも、一日を終えて、何かを食べることができるという安堵感もある。そして食べて眠って、また目覚めるというしんどい時間の流れのなかで漂う人々。その一人でありながら「生きているばかりの夜」を作者はそのまま静かに受け入れもしている。
この受容する姿勢が、この作者の世界をとても豊かなものにしているし、読む方にも自然な共感を呼びおこす。それが、この歌に出会ったときの心の震えになったのかもしれない。
 
帰ったら上着も脱がずうつ伏せで浜辺に打ち上げられた設定  
コピー機のうしろの窓に鳩が来るけれども窓を越えては来ない  
もうお会いすることのない方々へ一枚一枚菓子を配りぬ   
 
この歌集には、都会で暮らす若い人のけっして恵まれているとはいえない労働の現実が綴られている。しかし、それをひりひりと告発するでもなく、絶望もしない。現実のただなかから、違う位相で自身をながめるような視線がある。
一首目、上句までは、仕事で疲れ果てた自身の描写だが、下句にまたがるときに意識の転換がおこる。自己を異化してしまう浮力が楽しい。
二首目、はなんでもない職場の光景を切り取っているが、これも、下句で意味の切り返しが起こっている。鳩はあくまでも自分の現実の外側にいる存在として再認識されている。そのことによって、隔絶感もあるがそれよりも、関わりをもたない存在でいられること、自分のなかにはいってこない世界があることに平穏を見いだしているかのようだ。
三首目は、退職するときの儀礼。都会で働くことの人間関係の希薄さを表現しながら、下句では、そこから方向を変えて人と人とのはかない出会いや繋がりを、一枚の菓子を配りながら愛おしむ情感があふれている。
 
 
スプーンを水切りかごへ投げる音ひびき続ける夜のファミレス 
ゲート前で開園を待つ子供らは菫の花の群生のごと   
真っ青な空に足場を組んでいたひとがしずかに降りてくる昼    
 
一首目、夜のファミレスのなかに響くさまざまなノイズのなかから、作者はそこに働く人の姿を透視している。都会の酷薄さを感じつつ、バラバラにされながら強く生きる人たちがいることへの深い共感を、スプーンを投げる音に託している。二首目は、愛情にあふれた一首。弱いものの、小さなもの、いとけないものへの限りなく優しい視線がある。三首目は、労働する人のすがたを、まるで天上から降りてくる神のように神聖なもののように描いて感銘深い。
 
世界の様相をあるがままに受け入れてゆくこころ豊かさが、この作者に多様な風景や音や人の姿を見せている。ややもすると一面的になりがちな都会の風景を、あるいは自分の日常を、変幻自在な感情の表出によって、豊潤な世界のように詠んでいることが、読者に希望を与える。
 
お金がないお金に換えるものもない花瓶の花が散りゆく春に   
 
こんな身も蓋もない題材でさえ、下句では過ぎゆく時間のなかに昇華されて美しくさえ思えてしまう。この作者のピュアな精神にふれて幸福な気持ちになったことに感謝したい。
 
 
窓という窓のなかからあの窓が一番星のように灯った