眠らない島

短歌とあそぶ

美濃和哥 歌集 『わが網膜を軍馬は奔(はし)る』

ほの白き死者を思えば凍てつきしわが網膜を軍馬は奔(はし)る
 
 美濃和哥さんの歌集『わが網膜を軍馬は奔(はし)る』は美しい歌集だ。林みちよさんの奥行きのある絵と美濃さんの短歌との28首の歌とのコラボレーションで構成されている。
手にとって、その瀟洒な作りにうっとりしたが、歌の世界は全く違った。美濃さんは、この歌集のなかで、七十年前の戦争の実相に親族である伯母さんの死を通して接近しようとしている。直接に戦場で亡くならなくても、戦争はその時代の人々の人生を狂わせてゆく。この伯母なる人もその一人であろう。
 
傷つきし軍馬を殺す青酸カリ服(の)みて死にたる父の姉さま
軍馬景気に沸きたつ北見に嫁にゆき死んでしまったわたしのおばさん
 
この歌集のタイトルにあるように「軍馬」の運命も悲惨である北海道、十勝、北見地方は、戦前軍馬の生産地として活況を呈していた。軍馬はまさしく兵器として珍重され、そして兵器であるゆえに、戦場に捨てられて、帰還した馬はいないという。軍馬のたどった過酷な運命と伯母さんの悲劇。人生と軍馬との運命の交差がこの歌集の骨格を支えている。また、一人の死は、その死後の重みを家族に投げかける。
 
骨壺が重かったそうですおじいちゃんは怒鳴りちらしていたといいます
真桑瓜(まくわうり)もういっぺん食べたいと電話かけてきたのや、あの日
大事なことはぜんぶ運やで厨(くりや)べでおばあちゃんが言うとったがね
 
 一首目、娘を亡くした父親の怒りは、悲しみの深さだ。二首目は、亡くなった伯母の言葉を間接話法で表現している。二人の肉声が生々しい。そして、三首目、「大事なことは全部運やで」とは、胸を衝く言葉だ。こう思いながら、さまざまな苦難を乗り切るしかなかったのだ。この歌集は、伯父をとおして満州へも人の軌跡を訪ねている。
 
たれもみな生きて帰らずあの世にもどかんと雪がふったのだろう
 
 今年で、戦争から七十年目。あのとき何があったのかを、美濃さんは自分の親族の記憶を掘り起こすことで見据えようとしている。そこで、現れてきたひとりの女性の死を通して、また「軍馬」という戦争の犠牲を見据えようとしている。
戦争の実相に迫る骨太い歌に引き込まれる思いで何度も読んだ。歌を読み、絵を眺め、人間の悲しみに胸を深くした。
 
見えないは見える 見えるは炎(ひ)のつぶて 十字路で泣くおんながおるぞ