眠らない島

短歌とあそぶ

前川明人 第七歌集 『曇天』

 

碧天に梟首のごとき石榴の実残酷だったなああの戦争は     
 
 前川明人は未来短歌会の仲間である。このたび出版された歌集『曇天』は第七歌集であり、未来のなかでも歌歴は長い。前川は1928年に長崎市で生まれている。原爆が投下されたときは17歳。私は、未来に入会してから前川の歌を誌面で読んできた。そこには何年経ようと消えることのない被爆体験と真摯に向き合おうとするこの作者の毅然とした姿勢がある。
 
被爆者と言われたくない被爆者が砂糖まみれのドーナッツ囓る  
 
 この一首を読み、被爆したことだけで終わらない、被爆者に背負わされた深い亀裂に思いを馳せずにはいられない。不条理な戦争に巻き込まれ被爆者という被害者でありながら、その事実を受け入れることを困難にさせる現実がある。それが具体的にどういう状況をいうのかここでは明らかにはされない。しかし、作者はそういうありかたを「砂糖まみれ」という表現で厳しく批判している。ここには生き残ることができた被爆者をさらに苦しめる社会の無理解があった様に思う。前川はそこに目を背けずに詠いきっている。
 
被爆と被曝は次元がちがう木漏れ日に聖女の白きカラーが光る   
 
この一首も印象に残った。原発事故が起きてから様々な発言があり反核運動が盛り上がりを見せるかに見えた。そのなかで、「被爆国でありながら」という論理で反原発が語られることが少なくなかった。そこに作者は敏感に違和感を感じている。確かに戦争のなかで殺人兵器として開発された原爆の惨禍として被った「被爆」と、今回の原発事故とは明らかに次元が違う。原発事故は我々日本人自身が便利な生活を優先する選択をしてきたうえでの自ら招いた「事故」といえるのかもしれない。戦争という巨大な犯罪の意味をこの作者は常に問いかけようとしているのである。
 
  連帯感とは一体何だろうベランダの傘が一回転せり
 
いろいろなことが不透明になりつつある。果たして、人と人は理解しあうことができるのか。この作者はすでに87歳。この年齢にして、この歌のようなやり場のない絶望感が吐露されることに驚く。人間は長く生きたからといってそうやすやすと達観できないものなのである。この即物的な詠み方には妥協をゆるさない作者の鋭い認識のありかたがある。
 
曇天のなかに存在示しいる冬日輪の光たくまし
 
 曇天でも日輪のある位置は空を仰げば明らかである。日輪は人間に負わされた理性そのものであろう。そしてこの歌には作者自身もそのような存在でありたいという祈りや信念のような気概がうかがわれる。被爆を挟んで、戦前、戦中、戦後を生き抜いてきたことへのプライドがあり、またそれが言い尽くせない無念の営為の蓄積でもあったことへの痛ましい悔恨が重なり合っている。
 
歌集の中には、戦前の長崎を詠んだ貴重な証言となる歌がたくさん挟まれている。
 
起重機に脚垂らし軍馬が吊られいき昭和十二年の出島岸壁  
燃え落ちる局舎に向かって「敬礼!」と松本局長泣いて叫びき
灰と瓦礫ばかりの局舎の焼け跡に幾千の赤とんぼ飛びいき
 
 宙づりされた軍馬のいたましさ。松本局長の絶望の声。そして、焼け跡に舞う赤とんぼの無心の悲しさ。この記憶の鮮明さはどうだろう。この場面は確かにこの作者の身の上に起きた出来事であり、悲劇的ではあるが、それだけに掛け替えのない生の一瞬である。この一回性の人生とこの作者は胸をつきあわせてがっぷりと組み合っている。
 
やり戻しできぬ現世(うつしよ)と仰ぐときさびしきものよ真冬の銀河
 
戦争にまつわる歌ばかり挙げてしまったが、最後に別の方向に目を向けよう。歌集には、過去に目を向けるばかりでなく、どちらかというと現在の身辺のへのみずみずしい視線によって切り取られた景が多く歌われている。市井で生きる人への暖かいまなざし。そして静けさ。そこには何歳になろうと新鮮な感受を失わない作者の躍動する精神が息づいている。
    
  
  天眼鏡に付けられているむらさきの総(ふさ)を易者が直しいるなり
  素裸のマネキンとダンスするように店長は運ぶ閉店まぎわを
  水瓶を落とさぬように抓みいる百済観音の細きその指