眠らない島

短歌とあそぶ

真鍋三和子 第六歌集 『ジャカランダの花』


 『ジャカランダの花』は真鍋三和子さんの第六歌集である。真鍋さんは未來短歌会で長く近藤芳美先生に師事してこられた実力派の歌人である。
 この歌集は二〇〇五年以降の一〇年間の作品から、五〇七首を選び編集されている。最近の歌集は歌数が三〇〇程度であるから、この歌集はかなりの量感がある。その量感は歌数だけの問題では無くて、やはりこの歌集に負荷されているものが重いのである。

略歴をみると
「1945年敗戦により京城から引き揚げる」
とある。当時作者はわずか七歳。それからの七十年はおそらくこの作者にとってこの過酷な時代に立ち戻り、それが何を意味したのかを問い直す歳月だったのではないか。それは、戦争そのものを問い直していく長い思索の時間でもある。その時間の膨大な嵩がこの歌集の重さなのである。作者は、戦争を検証するのに常に社会の底辺に視点をおいて多角的な観点から全体像に迫ろうとする。戦前の数年間、幼児であったとはいえ植民地の侵略者である日本人として、加害者でもある立場から戦争の実態に迫っていくことは、自らを傷つけざるえない。にもかかわらず、作者は驚くべき理性と持続力をもって、太平洋戦争のあまたのアジアの戦跡を訪ねている。
 
  要塞の裏口煉瓦塀一面に弾痕のあり処刑場なりし      
  日本軍の拠りにし丘に弾痕の数かぎりなきトタン板錆びてあり     
  船とめて見よと指さすコバルトの水透く生みに沈む零戦   
  捕虜虐待を問はれし日本軍司令官の丸腰の写真のたどきなき様    
 
 二〇〇五年七月にシベリアを訪れ、抑留された人々の跡をたどる旅に始まり、二〇〇八年一月にはベトナム、二〇〇八年三月にはインパール戦跡をたどる旅をしている。二〇〇九年にはパラオ、二〇一一年三月には北ボルネオを訪ねて、日本軍の戦跡や、からゆきさんのゆかりの土地を探索している。いったい何が作者をこうまで駆り立てるのか。
 
   行きて見て何を得むとかはるか来て軍事政権の国ふかくゆく  
 
この歌にはっと立ち止まった。作者を駆り立てているのは「見たい」という衝動ではないのか。この作者は見ることによってその対象に深く関与していこうとする。何を見るかは人間の自由である。見ることで作者の感覚はいきいきと働く。見ることをとおして、人間の存在の奥底にある暗さに迫ろうとしているかのようだ。
 
たとえ、七十年前の戦跡であったても、その前に立ったとき、それは現場にかわる。その衝撃をとおしてこの作者は人間の際限ない悲しみに寄り沿おうとしている。それがどれほどの苦痛を伴うことであったとしても。そうすることで自らの悲しみの源泉に近づこうとしているのかも知れない。
 
  丘の辺に昼を駐まれるそれぞれの車に深く男の眠る
  頭(かしら)失せ横たはれるは石に似てよくよく見れば石にあらずも
  大阪への往還に長く見てきたる地すべり防止の工事終わりぬ 
 
この作者の凝視する対象は、時代や世界のような大きなものばかりではない。
上に挙げた三首は、「見る」ということによって、日常のさりげない側面を鮮度をもって切りとっている。一首目、駐車中の車で仮眠をとっている男達。そういう姿をわざわざ意識して見ることは自然に避けてしまうのだが、この作者はそれを見る対象にしている。そうすることで、疲れて昼間眠っている男達の存在感が濃く印象づけられる。二首目は、石仏の歌だろう。三首目から結句までの展開がユーモラスで楽しいし、「よくよく見れば」のだめ押しがとてもリアルな心情の動きを詠み込んでいる。石仏が再び石にもどろうとするまでの長い時間を捉えつつ、そこに仏の本来の姿を見ようとしている。三首目は、この歌集のなかでもっとも印象に残った歌。「大阪への往還」に車窓から長く見続けてきた生活の時間が立ち上がってくる。「地すべり」は地形の変化なのだが、それが自然の現象であるだけに、現実のなかの避けられない崩壊を見ているようにも思う。凝視するたゆまぬ訓練がこういう秀歌を生み出すことを教えられた。