眠らない島

短歌とあそぶ

『神大短歌』 vol.1

 
わたしの出身校である神戸大学に短歌会が発足した。そしてこのたび、機関誌第一号が発刊されたことをこころから喜びたい。後輩たちの活動を活字媒体で読むことは感無量である。
  
冊子には、短歌定型に出会ったときの躍動感がいきいきと流露していてスピード感のある作品群が楽しい。全部の作品が読み切れる訳ではないが、表現したいという意欲が誌面に力強くあふれている。どの作者も、自分の言葉を手探りで求め、はじけるような感覚を編み込んで、既存の表現からはみ出している。それは、短歌という言葉の世界で新しい自分との出逢いを激しく希求しているようにも思える。それぞれが自由を求めて、彷徨い、そして出会ったこの同人誌の出発が頼もしい。いくつかの作品を紹介して、神大短歌の前途を祝したい。
 
緖川那智 「Shes
 
  常温のエールビールは黒々とあなたに触れる口実になる
  バスタブに薄い緑のお湯満ちてあなたの夢をノックしに行く
  関係を名付けたくない 雨の朝あなたはゆびで白桃をむく
  身体からイミテーションの感情が剥がれ落ちてく驟雨のなかで
 
神大短歌創始者である緖川那智。さすがに言葉の運び方が丁寧で歌の肌理が整っている。この一連は、女友達(おそらく)との旅行を柱においた一連。同性同士のシンパシーをクールな感覚で詠む。三首目、既存の関係性からはみ出す場面にふたりを置き、共感し合うみずみずしい感情を呼び出している。「ゆびで白桃をむく」という結句が感覚的に利いている。四首目も好きな歌である。成長する中でいつのまにか身についてしまった常識的な感情から脱皮して、自身の本質的な感情と遭遇するときの真っ直ぐな歓びが鮮やかに歌われている。これも結句の「驟雨のなかで」がいかにも青春歌らしい言挙げかと思う。
 
懶い河獺
   十年は生きよと言われて明日が来てまた明日が来て明日朝がくる
   いつまでも「完全自殺マニュアル」に載らないような死を死なないか
 
 若い人ほど「死」に近いとはよく言われる言葉だが、この作者の作品からはひりひりとした死への親密感が伝わってくる。「死」を射程におくことで、生きる時間が抽象化される。一首目に現れているように、この作者の現実からは日常性が抜け落ちており、分断された時間意識が鮮明になっている。下の句のリフレインが継続的にしか認識できない無機的な時間を捉えている。どこまでも自意識を追い詰めていくストイックな歌風が際立っている。この作者による評論文も興味深く読んだ。二首目の歌も、たったひとつの「死」を契機としてシステムからはみ出そうとする熱い渇望が伝わってくる。
 
あと、気になった歌を引用してみる。
 
宮崎勝歓「モラトリアム」
  「青っぽい表紙で大きさこんくらい1015円でガンの本、ある?」
   レシートは要らぬと掌逸らす男いて無言のお客あまりに多し
  
 一首目は書店員をしている場面から拾い上げた言葉だろうか。上の句のおおざっぱな本への言及が客の心理をリアルに浮かび上がらせている。カギ括弧も、場面を作っていて面白い。
 
譚ヒロシ「あ恋しきというもの」
   あ恋しきという炎は旅に病み友が燃やした山の薪
 
「あ恋しきというもの」という題が不可思議。しかしなんとなく浪漫的な心情を思わせる。引用した歌の下の句はとりわけイメージが美しく切ない余情があって引きつけられた、
 
紫都音「もう誰が死んだのかわからない」
  目一杯わたしの破片敷き詰めた部屋に喪服を侵入させる
 
 この作者も独特の個性を放っている。観念には行かずにどちらかというと、具体的な場面から自画像を繰り出していく。その描写は単純ではない屈折感があり、魅力的だ。引用した歌は親族の葬儀を柱にした連作の中の一首だが、雑然とした日常の中にふいに侵入してくる「死」を感覚的に捉えていて成功した作品。
 
溺愛「ママ短歌」
   ママは今ブロッコリーの全部の隙間ダイヤで埋めてて忙しいって
   ママ知らないの?小三の夏にトイレの芳香剤を万引きしたのよあそこのコンビニ
 
 この作者のシュールな作風には遊び心が満載である。ファンタジックで軽妙な言葉遣いのなかに、暴力的な表現や毒が混在していて奥行きをつくっている。現実を再現することを拒否し虚構性のなかに関係の真実を立ち上げようとしているように感じる。まだ、読み切れてはいないが、突出した才気を感じる作者でもある。一首目の「ブロッコリーの全部隙間」という目の付け所が繊細である。
 
以上、簡単だが気に入った作品をランダムに挙げてみた。
ますます、歌の世界に入り込んで、楽しみながら歌を作っていってほしい。