眠らない島

短歌とあそぶ

堀合昇平「提案前夜」  書評

 
 
あけのこる月のひかりに染まりつつ艶やかに不燃物のふくろは
 
人々の去った街に不燃物の袋が転がっている。ゴミというすでに意味を失ったものが月の光に照らされて、生々しい存在感をもって現れる。夜明け前の都市の風景はなんと廃墟に似ていることか。それは無機的な美しささえ感じさせる。巨大な都市機能はシステムのなかで常に更新され続けている。当然、その後には使い捨てられた残骸が蓄積されている。新しいものと劣化して使い捨てられるもの。都市とは常に世界の崖っぷちなのかもしれない。
 
劣化したアイドルみたいな顔のまま新品まみれの街をいこうか
 
梅雨明けをニュースは告げる 堕ちぬため働くのだと何故言い切れぬ
 
堀合昇平の第一歌集「提案前夜」は、営業担当の男が主人公として現実世界で悪戦苦闘する都市物語である。ここには一人の孤独な都市労働者の現実がリアルに描かれる。その描き方はリアリズム的手法ではあるが、「生活」的な平板さはない。立ち現れる世界はノイズに満ちている。そこで絶え間なく無化され断片化されてゆく時間を、かき消されてしまう生を、瀕死の淵から言葉で救いあげようとするかのようだ。
 
積み石のごとき書類の (はたて )よりだんだんだんだんだんと空調
「ナイス提案!」「ナイス提案!」うす闇にさけぶわたしを妻がゆさぶる
 
「だんだん」という音喩は、直接にはオフィスに流れる暖気をいうのだろうが、仕事に追われる現実の切羽詰まった息苦しさがリアルに伝わってくる。また二首目、高揚感は夢のなかでしか持てないという空虚さ。それは饒舌な文体に反映され、その過剰さゆえに読後にどこかものがなしい人間臭さが残る。
 
地下鉄に向かう足音ゆっくりと揃いはじめるはずはないのに
 
寝不足の朝に差し込む歯ブラシのざらつく感じ そうあの感じ
 
どこまでがぼくなのだろう燻されたスーツのままでバスに揺られて
 
ここには、近代短歌にみられる統一感のある安定した「私」はいない。巨大な企業というシステムの中で断片化される存在の不全感が伝わってくる。身体的な齟齬感を抱くことでかろうじて自我らしきものの痕跡に触れる感触のようなものが描かれている。こうした現実のまえでは、意志する主体は常に相対化されてしまう。
 
みな土に還る途中であるとしてこんなにも破り捨てる提案書
 
厚切りのパンを小さく切り分ける週末はまだ遠いのだろう
時間とはただ生人 (いきびと )のためにある納期遅延の留守電を聞く
 
このように常に個人を無化してしようとする現実の前で窒息しそうな「私」は読む方を息苦しくさせる。それでも、歌集を最後まで読ませてしまう魅力がこの歌集にはある。それは外界との距離の取り方の工夫に起因しているように思える。離すのではなく、視点を事象に引き寄せることで強い磁場が形成されている。その執拗なまでに現実を追い込んでいく文体を支えているのは微細なものを見逃さない鋭敏な感覚であるようだ。トレビアなものにこそ、命が宿っているかのようにその描き方は生々しい。外界への感覚が表現をステレオタイプになることから避け、奥行きをもたせているようだ。
 
白濁のマスクのしたにひりひりと湿る鼻先 急行がくる
苛立ちをなだめる為の (かたち )かなサンドイッチのフィルム剝がす
行き過ぎる人のあわいにバックします、バックしますとトラックが啼く
 
痛む鼻先を覆うマスクは「白濁」しており、サンドイッチの薄いフィルムを剝す瞬間にかろうじて治まる苛立ちがある。また、雑踏のなかに響くトラックの無機質な警告音が、悲鳴のように響き、そこに共感する感情が流れ出している。全的な人間性をもつことが困難な状況のなかで、かろうじて作者は感覚と言葉によって自己回復のイメージを立ち上げようとしているようだ。
 
たましいのごとき一枚ひきぬけば穴暗くありティシュの箱に
 
国道のひかりの粒の連なりをとおく見る近鉄の窓辺に
 
一首目、たとえ、残されたものが空き箱に過ぎなくても、最後のティシュを「たましいのごとき一枚」と比喩することで、静謐で無垢な世界への憧憬が伝わってくる。二首目も、夜の車窓に映る国道に流れる光が目にしみいるように描かれていて美しい。ここには統一された自己像への希求が息づいているように思う。それは、作者の故郷を描いた一連のなかに広がっている光景でもあるのだろう。
 
ひとしきり波に漂う麦わらの 祖父よあの日の遙かなリアス