眠らない島

短歌とあそぶ

秋月祐一「迷子のカピバラ」 書評

 
 
眠れない夜にきみから教はつた世界でいちばん長い駅の名
 
 
 「世界でいちばん長い駅の名」が実際にどういう名なのか、具体性は外されている。固有名詞を出さないことで、どこか寂しさも併せ持つはるかな駅への想像をかき立てられる。「駅」ではなく「名」であることで非在の世界への憧憬を誘う。「名」とは言葉そのものであり、実体は消されている。そういう「世界でいちばん長い名をもつ駅の名」とは、なんと世俗から遠いところにあるのだろう。眠れぬ夜に与えられた恩寵のようなフレーズは、無垢な世界への美しい祈りの言葉ようにも聞こえる。
 
感情に名前をつけるおろかさをシャッター音ではぐらかしてく
 
「迷子のカピバラ」の作者、秋月祐一は自己像を描くことにはあまり関心が無いようだ。傷ついた自己、不遇な自己、不安な自己を表現しようとすることは「感情に名前をつける」、意味づけていくことである。それを「おろか」であるという。自意識をどう工夫して描こうが、どこか似たり寄ったりの自画像になってしまう。「私」を主張する歌は、日常性から感性を解放させてはくれない。ましてや、「詩」を読む喜びからは遠い。秋月はそのことをよく承知している。退屈な自意識をなぞるよりも、世界の断片を丁寧に切り取って、再構成することでみずみずしい詩情を立ち上げようとする。それは世界が一瞬見せる表情をカメラで捉えることと似ている。意味づけされる前の新鮮でひかりに満ちた世界を言葉でそっと差し出してくる。そこにこそ、詩の生まれる場所がある。秋月独自の世界への開かれたコンセプトが伝わってくる。
 
 開けてごらん影絵のやうな家々のどれかひとつはオルゴールだよ
 
優しい語り口によって体から力が抜けてゆく。ありきたりの町並みも、秋月の手品によって影絵となり、どこかの家からはオルゴールが響いてくる。至福感に満ちている光景だ。なんともいとおしく優しい世界だろうか。ここは秋月の美意識によって綿密に設計されたワンダーランドである。歌集をひらけば、美しい写真やイラストに囲まれながら日常から離れた世界で楽しく迷うことができる。まるで無邪気な小動物である「カピバラ」になったように。
 
「見ないまま重ね録りされ消えてつた推理ドラマの刑事みたいね」
 
 きみどりの目をしたうさぎに一晩中「くぶくりん」つて囁かれてる
 
平明な口語体ではあるが文末の処理にも気配りがあり、直接話法なども取り入れることで動きがある。シンプルな言葉選びによって渇いたときに清涼飲料水を飲むような感覚で歌が自然に流れ込んでくる。といっても、歌に詠まれた内実はそう軽くはない。一首目、読み流してしまいそうだが、「重ね録りして消え」てしまうキャラクターのはかなさが浮き彫りにされている。二首目の「くぶくりん」と囁く「うさぎ」によって苦しさが濃い影を見せている。無限にある言葉の中から「くぶくりん」を選び取る音感の良さが伝わってくる。言い足せば、この囁きは、切羽詰まった感じを表象している。それは、次のような歌にも感じ取れる。
 
 「生涯にいちどだけ全速力でまはる日がある」観覧車(談)
 
 朝焼けを見すぎたぼくとやせこけた向日葵それが夏のすべてで
 
 笑ひながら生きてゆかうよ雪の日にでつかい塩のジェラートなめて
 
観覧車を詠んだ歌はよく目にするが一首目の歌は独特である。観覧車自身のせりふとして世界から抜き取られ、孤立している。しかも、「生涯にいちどだけ」という取り返しのつかないせつなさ。二首目も、失ってしまった青春へ哀惜が美しく流れている。そして三首目には、遠い終焉を見据えて「笑ひながら生きて」いくしかないという深い断念がある。歌集を読み終えて、シンプルな口語短歌でこのように静謐でみずみずしい世界を詠み込むことが可能であることにひとつの希望がみえたようで、現代短歌の豊かさを感じさせられた。
 
ひたすらにねむるけだものぽよぽよのだぶだぶのぷるぷるのかなしみ