眠らない島

短歌とあそぶ

宮廷歌人 武者小路実陰のうた

近世宮廷歌人
 
武者小路実陰のうた
            岩尾淳子
 
 
明治二六年の淺香社に始まって、和歌革新運動はそれまでの旧派の和歌を徹底的に批判するなかで近代短歌を立ち上げてきた。明治三〇年代は『明星』に代表される新派の時代のようだが、実際には明治四〇年頃まで、堂上和歌は歌壇の主流であったという見方もある。旧派和歌、中でも権威の中心にあった堂上和歌は圧倒的な遺産であったわけだ。類型的で凡庸な歌を増産してきたという負の面ばかりが強調されるが、実際はどうであったのか。死力を尽くして超克せねばならなかった近世の和歌であるが、堂上和歌については意外に知られていない。岩波古典文学大系の「近世の和歌」には近世前期の宮廷歌人の作品はほとんど取り上げられてはいない。近代短歌が成立してから約百年という時間が流れた。しかし、その前には、途方もなく長い近世の和歌の時代がある。取りわけ宮中では、どんな歌が詠まれていたのか。今回、近世前期の宮廷歌人として名高い武者小路実陰の歌を読み、その新鮮な表現に驚きを感じた。
 
  更けにけり外のへにめぐる沓の音すめる真砂の月白き庭
   
ここでの「外」とは御所の一番外側の塀を指す。夜も更けた頃、外郭周辺を警備して回る衛門府の役人の沓音が闇をとおして耳に届いてくる。秋の夜はすでにしんしんと更け、月は高く澄み渡り、禁中の庭に敷かれた白い砂にひかりをこぼしている。初句を一息に言い切って、秋の夜の清澄さを引きだしている。また三句から四句への跨りも歌に緊張感をもたらして効果的である。研ぎ澄まされた聴覚と視覚とによって捉えられた空間が無理のない言葉の連接によって静謐な世界をつくりあげている。ここには自分の感覚をよりどころにして世界の肌触りを表現しようとするひとりの真摯な歌人の姿が立ち上がってくる。
ここに引いたのは「宝永二年仙洞御到着百首和歌」とされるものである。宝永二年(一七〇五)当時、宮廷歌界の指導的立場にあったのは霊元院である。父、後水尾院の教えのもとに、早くから歌を学んでいる。武者小路実陰はこの霊元院から高い評価をもらった歌人である。八歳で禁裏に召され、霊元帝に親しく仕えた。官吏としての信頼も篤かった。宝永二年といえば実陰は四五歳、歌境も十分に熟したころである。次の歌は百首詠の巻頭歌である。
 
あか星のまだ夜を残す光より春も雲ゐにめぐり来にけり
 
巻頭歌といえば、春を言祝ぐ歌に始まる。この歌の下の句も「雲ゐ(宮中)」に巡ってきた春への祝い歌になっている。初句の「あか星」とは夜明けの空に見える金星のことである。早朝の空に残る金星を春の到来の象徴として捉える発想は新鮮である。夜明けの空にまだ輝きを残している明星。その光からやがて春は始まるという。「まだ夜を残す光」という把握がみずみずしい。春の訪れの喜びが天空へ広がるようにのびやかに歌われている。
 
近世の前期には後鳥羽天皇以来といわれるほどの宮中での文芸の興隆期があり、後水尾院を中心としたサロンでは日夜、白熱した歌会が催され、真摯な勉強会が繰り広げられていたという。その様子を「万治御点」の点取りや、それに記されている後水尾院の的確な評語に伺うことができる。後水尾院が学問や和歌に情熱を注いだ背景には、当時しだいに強さを増す幕府の宮廷へ締め付けに対抗して、宮廷文化の独自性を復権しなければならないとの危機感があった。後水尾は早くに譲位し、自由な立場になったのち、宮中の才能ある若い歌人達を集めて古今伝授をほどこし、自分の後継者の育成を図った。
武者小路実陰が活躍したのは、その後水尾院の作り出した宮中和歌の熱気をそのまま受け継いだ霊元院の時代である。貞享から元禄・宝永にかけてのこの時代にはすでに、幕府との緊張関係も和らぎ、宮廷内は学問においても安定した雰囲気があったようだ。幕府も、水戸家や柳沢家の好学に刺激されて、歌道奨励策を採っていた。霊元院は仙洞御所に多くの若い歌人達を集めて、たびたび古典講釈、勉強会、和歌の添削指導なども熱心に行っている。この霊元院サロンでは、権威の序列による制限はあったものの、相互批判を通して、いきいきとした文芸活動が可能であったことが伺える。
 
 山深き雲に木蔭はまがへても匂ひぞ花の道しるべする
見し花のをしむ梢は移ろひて色になり行く庭の春風
 
一首目、山には満開の桜の花。あいにく、今日は雲に覆われてせっかくの桜の梢が見えない。しかし、甘い香りが自ずから花へと導いてくれる。桜の花への伝統的な賛歌であるが、春風に流れるあまい香りをききわける嗅覚を生かした表現が歌を類型から救っている。
同じく、二首目、下の句の「色になり行く」が秀逸である。何の色と限定せずに、簡潔に「色」ということで、イメージが膨らんでくる。言葉が詩語に生まれ変わる瞬間をみるようだ。桜を惜しむ心情が春風と一体となり、流れるように詠み出されている。このあたりは新古今風の気品が漂っている。
中世の混乱期を抜けて、古今伝授という制度をとおして和歌が宮廷に取りこまれて、堕落したともいわれる。しかし武者小路実陰の歌には、数知れぬ先行歌にわずかでも新しい表現や詩想を加えることを試みようとする、研ぎ澄まされた歌人意識がみてとれる。伝統の軛のなかで、さらに新味を求めることがいかに困難で孤独な業であったか。しかし、表現の新しさの追求ということでいえば現代短歌という場であってもたいした隔たりはないのかもしれない。加えることのできる新しさなどは優れた才能をもってしても微量でしかないことには違いがない。
    
すゑ遠くふりもとほさではるる日の雲やしぐれの初めなるらむ
 
さだめない時雨の晴れ間、遠い空にかかる
雲を見通す視線に、手に届かぬものへのあこがれのような想念を感じる。このみずみずしい感性に触れるとき、時空を超えてひとりの歌人の魂をありありと感じる。近世和歌の奥行きの深さをここに発掘した思いであった。