三島麻亜子 第一歌集 『水庭』
取り急ぎと書かれしままに夏過ぎて秋過ぎてなほ置かれたる文
今にして思へばすべて些事ならむ手作りシチューはみないびつなり
この歌もやはり前に挙げた歌に共通の感じ方があるように思う。下句にはっとさせられた。日常のことはいうまでもなく些事であるが、それを下句では手作りシチューに置き換えられている。そして、それは「いびつ」と感じられている。日常の様々な雑事からもっと自由に解かれ放たれたいという願いがそう感じさせているのだろうか。
おもはざるかたちに夢は叶ふもの青き焰にミルク沸きをり
この作者のなかには、日常の時間からぬけようとする、憧れてやまない魂がある。それが形になるのが歌集に収められている多くの恋の歌であろう。しかし、むしろこういう歌の方に、開かれてゆく思いが率直に表現されているようだ。上句の力強さが心地良いうえに、その心情とミルクの沸騰する景が見事に絡み合っている。日常のなかに風穴が空く瞬間を器用に取られてみせた秀作である。
快速で二十五分を降り立てばむしろ都心が世俗の外に
この歌も印象的だった。都心にでることを「世俗の外」へ行くように感じている。確かに、家から出て、街へ出て行くことは褻から晴の空間へ移行してゆくような開放感がある。都心の華やぎをそのまま心の中に引き込もうとする向日性がある。短歌ではどうしても負の感情が詠まれがちだが、この作者らしい新鮮な感覚が歌集全体を風通しの良い明るいものにしている。
安定した文体は、生活空間に明滅する些事や風景も確実かつ精緻にとらえている。そこには生々しい質感のある時間や空間が立ち上げられこの歌集に奥行きを持たせているようだ。
私鉄駅ドアが開きて無実かもしれぬ男が連れ行かれたり
みづからの勢に倦みたる雑草( あらくさ)が水防倉庫のうらに伏しをり