眠らない島

短歌とあそぶ

『評伝・河野裕子 たっぷりと真水を抱きて』 永田淳

 
「評伝・河野裕子 たっぷりと真水を抱きて」を読んだ。
河野裕子の出自からその最期の日まで、息子永田淳が膨大な資料や調査を渉猟して丹念に書き進めている。この評伝から、歌人河野裕子がどのようにして誕生したか、その秘話を存分に知ることができた。また、河野裕子永田和宏永田紅、永田淳、という希有な家族の過ごしてきた時間のなかにひととき触れることにもなった。それは、このうえなく上質で楽しい時間だった。
 
五百枚に及ぶ大作でありながら、その長さを感じさせない文章の力を感じる。そこには作者永田淳自身のいきいきとした感情が常に伴走しているからであろう。息子として、さまざまな葛藤をかかえながら、母であり大歌人である河野裕子の実質と真っ向からとっくみあおうという気合いに満ちあふれていて胸に迫ってくるものがある。河野裕子という生身の人間の強さも弱さも容赦なく描いてゆく、その構えに読者を圧倒させるものがある。
河野裕子永田和宏という偉大な才能がマグマのように燃えさかる家に家族として生まれたことがどんなに重い運命を背負うことになるかは容易に想像できる。傍から見れば羨ましいような家族環境ではあるが、それだけにその家の子供として人生を歩み出すことは枷として立ちはだかる。特に印象的だったのは父永田のアメリカ留学にともなってのアメリカでの生活のシーンである。そこでの学校生活がここまで孤立を強いられるものであったことに驚きを感じた。そこでの体験は帰国してからも大きく永田の心情に影響を与えたようだ。

 自身の思春期から青春期にかけての挫折や逡巡、そして母との軋轢や葛藤を誤魔化すことなく書き切ってしまう身構えのありように痛ましささえ感じる。また、そうさせてしまう母、河野裕子の愛情の深さと信頼の厚さということにも自然に思いがいき、何度か胸が熱くなった。河野が乳がんを患い、最期が近づくまでは一気に読み通してしまった。ところが、最終章の数ページになって読むことができなくなってしまった。河野裕子が亡くなる一月ほどの場面である。苦しくて活字が追えないのだ。本を閉じたまま、一月ほど過ぎてしまった。そして、昨日ようやく、最後まで読みきることができた。この大作を閉じて、やはり言葉とはいいものだという平凡な感慨が沸いてくる。歌とは、家族とは、そして運命とは、といったいろいろな思いが噴き出してくる。これから、もう少ししずかに考えを深めてみようと思う。