眠らない島

短歌とあそぶ

桂保子 第四歌集 『天空の地図』

 
 『天空の地図』は桂保子さんの四冊目の歌集である。桂さんは『未来』の先輩であり、いつも美しく溌剌とした姿を眩しく見ていた。『未来』の毎月の誌面でも端正でありながら、ゆったりとした詠いぶりにおのずからなる品位が香る歌風に多くのファンがある。
 今回の『天空の地図』は、最愛の夫君への挽歌が多く収められている。挽歌の数が多いのが気にはなったが、まっすぐに悲嘆にいかず、思わぬ不幸に見舞われた自分との距離感が絶妙なので、読んでいてかえって救われるような思いがした。
 
  すとんと穴にあなたが落ちてわたしいま百万力を出さねばならぬ   
  胸内の野に立つキリンを思ひつつわたしゆつくり深呼吸せよ  
 
こんな歌から始まる。夫が不治の癌と分かったとき、自分をどう支えるのか。悲嘆の極限にありながら軽妙な表現で歌うことで、かえって衝撃の重さと悲痛な声が聞こえてきそうだ。こういう澄んだ抒情を悲しみにも与えることができることを教えてくれた作品である。
 
  泣かないでほしいと今夜も言はれたりいちばん泣きたいだらうひとより   
  死のことを考へながら死にゆきしあなたの天晴( あっぱれ)を妻われは知る   
 
この二首は胸に滲みた。夫婦のあいだの情愛と理解の深さが温もりとして読む者を感動させる。死を前にしても、こんなふうに夫婦として時間を共有できることは幸せなことではないかとまで思ってしまう。とくに二首目、「死のことを考えながら死にゆきし」と死を前にした夫の崇高な精神世界があり、それと対峙しつつ耐え得た妻の高い精神性を歌から知ることができる。ここに透徹した理性によって繋がりえた希有な夫婦の関係を思ってしまう。互いの存在を尊敬し、掛け替えのない存在として支え合うことが、そのあとの時間をどれだけ豊かにすることができるか。死を越えて生きることの芯に触れることが出来たような清浄感がある。
 
歌集の後半では、苦難の時期を乗り越えて、心と言葉がうまく絡み合いながら自由にうごき、より広い世界へと歌の広がりがはじまったようだ。悲しみのなかに一筋のひかりを差し込むような歌に思わず空を仰ぎたくなる。希望を与えられる一冊だと思う。
 
    一重まぶたの涼しさほどの一行のメール「月蝕をぼくも見てます」