眠らない島

短歌とあそぶ

中家菜津子 第一歌集 『うずく、まる』


一本のひかりの道に手をのばすさっき真冬の葱をつかんだ   
 
 
中家菜津子は「未来」の加藤治郎選歌欄の仲間である。短歌だけではなく、現代詩の領域でも活躍している才気あふれるこの新人をまぶしく眺めてきた。新鮮な発想の歌に目を奪われることが多かったが、今回、歌集となってその全貌を知ることができ、また新たな中家菜津子と出会うことができた。
 
 冒頭に挙げた歌は平明な言葉を使いながら、輝くような生命の核に届いている。「ひかりの道」から「真冬の葱」への転換がとても鮮やかだ。確かに「葱」は冬を象徴する野菜であるし、こうして使われると、葱の白い茎が一筋の光のように見えてくる。こんなシンプルな素材を使って、「真冬の明るさ」を表象している。「手をのばす」と「葱をつかんだ」という動詞の使い方もいきいきと躍動感があふれている。中家の歌は自意識の方へ内向していかない。どちらかというと、外界、あるいは自然との交感を自在に楽しむなかで言葉が生まれてくる。体温がある歌にとても心を惹かれた。
 
さきほど「真冬の明るさ」と書いたが、この作者の詩想の核にそれがあるように思う。中家は北海道の旭川近郊で七歳から一八歳まで生活している。旭川の冬の厳しさは想像にあまりある。その風土からこの作者は自然への畏敬を与えられている気がする。巻頭に挙げた歌はまさに冬の賛歌のようだ。この作者が、孤独を詠うときも、薄っぺらな感じがしない。その背景を広大で強い自然観が支えているようにも思う。
 
ポケットに切符を探している人がポプラのように改札に立つ   
 
「ポケットに切符を探している」とくれば、大抵は都会の喧噪の中で孤立する自意識の方向へ流れる。しかし、この下の句は「ポプラのように」の喩で一息にこの「人」を広い大地に立たせている。孤独なこころに乾いた風が吹き抜けてゆく。
 
文字は鳥 ひらかれるまで永遠に白紙の空をはばたいている   
 
これも好きな歌だ。まず初句に注目する。文学の世界もこの作者にとっては、大自然に広がる空であり、文字はそこを羽ばたく鳥だという。そして、その豊かな大地は人の手でひらかれるのを待っている。ここには、文学の自由な地平を見晴るかすのびやかなポエジーが流れている。
 
旭川駅は硝子に囲まれて茜はやがて焼け跡になる  
だだッ広い胡瓜畑の迷路にて父は年々大声になる    
一生を耕し続け種を蒔く 土は家族をやわらかくする   
 
連作『沃野』から三首引いた。旭川の光と風のなかで深呼吸しているような歌がならぶ。ざっくりと骨太に抒情をきりとって、馬鈴薯のように泥臭く豊かな言葉が投げ出されている。自然のなかで暮らす家族の営みが、作者の精神世界を作り上げていることが伝わって、心地良い一連である。
 
こうした短歌世界の前に、この作者には自由詩の時間があったようだ。歌集中には一三編もの詩が収録されている。私は、現代詩がいつからか、よくわからなくなってしまった。そこで、詩というと少し身構えてしまうのだが、中家の詩はそんな私の肩の力をほぐしてくれたように思う。
 
 タイトルに使われている『うずく、まる』にあふれる生命感は圧倒的だ。宇宙そのものを生むことの喜びと痛みが豊かなイメージで紡がれている。ここでは、初見の詩について少し触れてみる。
 
かさなりあった花びらのちに渦まいている微(び)や裸(ら)の音が
みどりがかった五月の空の一隅(ひとすみ)をかすかに震わせる
一度も衣服をまとったことがない素裸の耳に届くとき
それは大瑠璃、夏鳥のうた     『散緒』
 
 『散緒』の冒頭の四行。「花びら」という言葉から音の響きが引き出され、意味をいつのまにか脱ぎ捨てて、言葉の宇宙そのものの豊かさの中へ誘い込まれてゆく。一行、一行が波のようにうねりつつ読む者の感覚を刺激し、そのここちよさに思わず身をゆだねる。重層的に言葉の変奏を繰り出しながら世界の深みへと誘い込んでゆく。
 
リュウ』より
 
今が過去になるための色
生地をこするあうときの
仄暗いみぎの手の甲と
仄白いひだり手首を這う静脈のうねり
うちがわに龍を飼っているからだ
素裸で膝をかかえれば
冷たい太ももに心音が響く
 
言葉の渡しかたがこまやかで、飛躍する文脈に躍動感がある。詩のテーマはおそらく再生への希求があるのだろうが、フレーズだけでも充分鑑賞できるように思う。無理のない隠喩でイメージが運ばれていく。詩想がシンプルなのかもしれない。ここにはもう引かないが、『etanpet』の郷愁的でもありながら宇宙的な時空間に回帰してゆくポエジーに魅了された。
どの詩にも背後に生命の根源である宇宙的時空間への希求があり、詩世界を開いたものにしているように思う。
 
短歌と自由詩と、二つの世界が豊かに交感しあって編み出される言葉に翻弄されつつ、その広がりにこころを開かれるような時間を味わうことができた。
 
きみまでのきょりわるじかん、それははやさ、ひかりの帯となりゆく列車