眠らない島

短歌とあそぶ

佐藤羽美「ここは夏月夏曜日」

 
セーラー服の女子高生が赤い紫陽花の上で寄り添っている表紙絵。そこに降る甘やかな雨の匂いに誘い込まれて初々しい世界に誘われるのかと期待すると、こっぴどく裏切られる。かなり多くの歌数を、読みやすく物語風に構成している。その物語の深淵にのぞいているのは佐藤自身の生への怯えであるように思える。
巻頭の「ここは夏月夏曜日」は歌壇賞受賞作である。文体は、弾力があり若々しい印象がある。しかし、やはり、次のような歌はどうか。
 
べえろんと夜風に腕を舐められる夏の終わりの葬儀であった
なにもかも蒸発させてこの夏は順番どおりに剝がれてゆけり
 
「死」が自身の生の時間を侵食してゆくような怯え感じる。それも非常に生々しく体で感じ取っている。また、高校生活を描いた一連でも、
 
将来の死体三七体をしずかにおさめる教室である
 
このような歌に出会うとどきりとする。若さと死とが隣あわせにあることを痛みとして感じざるをえない感覚がなまなまとある。そのことが、性愛歌の多さにも繋がっているのではないか。死と性とが分かちがたく、歌集のなかに同居して、不穏なそして肉厚な存在感を放っている。
 
起きしなの内耳深くにゐの文字をつるんと落とし込んでくるひと
きうきうと息を吐くたびわたくしの体は白い密林となる
 
自らの生、性、そしてその向うにある死を深く凝視するとき、現実の時間との折り合いがつけにくくなる。そうした危機にある自己像を柔軟な言葉で描いている歌が魅力的である。
 
遠くから見れば子供で近づけば裂けた石榴でありました、夜
もう何も裂けないでくれ表札の字画すべてを覆う秋の陽
御出席の御の字に斜線を引く午後のがろんがろんと鳴る洗濯機
ふっくらとわたしの鬱をのせたまま市バスは冬の団地を抜ける
 
こういう抑圧感がときに暴力的に表出してくる。
 
歯磨きのチューブにかかる圧力の一生分を集めて殴る
A型の人は器用で繊細で決して人を刺し殺さない
 
こういった振幅の深さがこの歌集の抒情を太いものにしている。
とはいっても、美しく情景が匂い立つような感覚の歌がやはり私としては最も好ましい。この歌集の美質となって彩っている。
 
くつくつと水の滴る真夜中の図書室書架の新潮文庫
六条御息所の泣き声の鋭さを持ち降り続く雨
微睡というやわらかなくだものを切り分けながら二月を暮らす