眠らない島

短歌とあそぶ

『柊と南天』 第0号


 冬の陽ざしのように簡潔で暖かな冊子がとどいた。『柊と南天』は「塔」短歌会のなかの同人誌らしい。永田淳さんの呼びかけで集まった昭和48年生まれのメンバーで発足したとある。まだ準備期間ということで今回の冊子には0号とある。掲載されている5人の連作をざっと読んだ。作品がしっとりしていて、こまやかで、作者の思いが抑制された表現に込められて、十分な読みごたえがある。さすが「塔」だなと羨ましくなった。簡単ですが紹介します。今後の発展をさらに期待します。
 
 
乙部真美
 
でもたぶんぽかんと明るいこの窓が失うことにもっとも近い
 
ひこうきをうかべてあの日の夏のそら記憶のうしろ空想のとなり
 
1首目、具体は窓に絞って、明るい空虚さに満ちている。喪失してゆくことへの予感がすでに喪失感を呼んでいて、せつなくて詩情にあふれる1首。
2首目、すでに喪失した時間への追憶。ひこうき、夏、そら、記憶と道具が揃いすぎているが、そのあとの転換があざやかで意表をつく。みずみずしい言葉と柔軟な発想が楽しい。
 
中田明子
 
はなびらは縁より傷みはじめたり世界のなかに触れたる箇所より
 
ひいらぎのあかるむ角まで昼をきてわたしはわたしの秋の火を呼ぶ
 
丁寧な描写に共感が持てる。1首目、花びらに託して心的世界を表出する。生きることは、世界に触れること、そしてそれは痛いことでる。
2首目、前半しずかな叙述のなかに時間が流れる。後半、一転して激しい「わたし」の声が差し込まれてはっとする。「秋の火」がとても美しくて、強くて魅力的なフレーズ。
 
池田行謙
 
花を踏まずに歩き続ける猫だった私は泣いてしまいたかった
 
ありわらのゆきひらゆきひらゆきひらと唱えてきみは鍋を洗えり
 
1首目、読み下して、こちらが泣きそうになった。上の句の叙述がとてもきれいで悲しい。なにも傷つけないように生きていることのつらさ。とてもみずみずしくて悲しみが透き透っている。一読で好きになってしまった。
2首目、固有名詞が平かな表記されて、呪文みたいに不思議な音感がある。遊び心の中に「君」へのいとおしみがこめられていて、ほっと気持ちがあたたかくなる。
 
加茂直樹
 
画のなかの森の小道の明るさよ秋になりても実をつけぬ森
 
こはいのは高さではなく いつか自分が飛び降りないか思ひをること
 
 
1首目、詩的なイメージに魅せられた。絵を見て歌うのはなかなか成功しないけど、この歌は絵のなかの時間に自然に気持ちがさそわれてゆく。そこには永遠に止まった時間がある。「秋になっても実をつけぬ森」がその一瞬のはかなさと輝きを言いきっていて感動する。
 
2首目、ああこれは、だれでも思い当たること。潜在的に感じている不安や恐怖をこのように正確に言い当てられることで、あらためて存在していることのあやうさに気づかされる。深い洞察がある。
 
永田淳
 
かき分けし前髪薄く紫で詩であるために言葉は要らず
 
点鬼簿の中なる人の簡潔やわれにさやかに肉の付きゆく
 
1首目、青春の気負いのようなものが一行にみなぎっており、その輝きがまぶしくて痛々しい。青春と詩とは永遠のテーマだ。「前髪薄く紫」が作者の美意識をさっそうと立ち上げていて凛としている。
2首目、すでに青春から遠ざかってしまったという苦い悔いが流れていて、自然に共感してしまう。それでも「さやかに肉の付きゆく」の「さやかに」の把握にまだ壮年にさしかかった肉体の若々しさへ自負があり、鮮明な印象がある。