眠らない島

短歌とあそぶ

小谷博泰 第八歌集『昼のコノハズク』

わが心の内にある村わが心の内にある町ありてさびしき     
 
 小谷博泰の第八歌集を読んだ。この歌集には旅の歌が多く収録されている。
いうまでもなく旅先の町は異郷である。異郷を訪ねることは日常の空間から離れることになるが、その異郷にもまた、つつましく生きている人々の生活があり、時間が流れている。巻頭に挙げた歌には、旅を重ねながら、次第に自身のなかにこそ手の届かないはるかな異郷があることを詠んでいて印象深い。この歌集はさまざまな地名で溢れている。それだけ、この作者がよく旅をしたことを現している。西表島、南国、みちのく、恐山、福島、東京、博多、出雲路四万十川、そして「北の町にて」のシリーズは春、夏、秋、冬と季節を追って配置されている。こうして並べると、単なる旅日記のようであるが、そうではない。この作者にとっての旅は、現実に他の町を訪ねることに限らず、旅の時空間がそのまま身に流れ込み、心のなかの自由な遊行へと開かれている。
 
若草にすわればねむい目のまえの海を曳き舟が遠ざかり行く   
 
これが旅先での歌かどうかは分からない。ただ、自意識を離れ、どこでもないどこかの空間に作者は身を投げ出している。岸を離れてゆく一艘の舟。その舟は海を曳くように遠ざかるという。おおらかな把握のなかに解き放たれた至福感が溢れている。
 
しじみとる小舟がいくつ対岸へかかれる橋をわたりゆくバス  
 
この歌は、出雲路の一連にある。今、バスがわたっていく橋は宍道湖に架かっているのだろうか。自然と人のくらしの息づかいが静かにスケッチされていてここに流れる時間に慰謝される。旅先で出会った土地への深い共感がこの歌にしっとりした情感を与えているように思う。
本来、詩とは自分の内面にあるものを描くのではなくて、自分を離れた世界にある豊かさを描くものだろう。この歌集の中に繰り返される旅は、風景を含めて他者との出逢いの可能性を探っているのかもしれない。そこではより自由な「私」が発見されるであろうから。
 
誰もかも同じ顔して行きちがうもはや私はどこにでもいる     
 
作者は事実性に近い「私」を描くことにはあまり関心を払わない。とかく人生的な生活の相は多かれ少なかれ似たような現れ方になる。働き、そして仕事を引く寂しさ。家族の死や自身の衰え、そして老いや死への不安。そこに個々の事情の差異は当然あるわけだが、それをこまかく記録することにどれほどの意味があるのか。ましてやそれを歌うことに。そんな「私はどこにでもいる」。作者はそうつぶやいているようだ。
 
そびえたつ山のふもとの隠れ里だったかもしれぬ村消えている  
あちこちに桜が咲いて新幹線の窓から見える平和いつまで   
早引けの高校生もともに居て相馬へもどる客車がら空き    
 
 歌集のあとがきに「とっくに過去の亡霊になったと思っていた暗い時代があれこれが、気がついたら現代の現実となってよみがえっている。」と記している。歌集を通して作者の眼はつねに外界の「変化」ということを追いかけてゆく。一首目、失われた村を描きながらノスタルジーにはいかず、人の世の常として受け入れる。そして、その変化の波は、現在あるものをも飲み込んでゆく。二首目には、「平和」ということもその例外ではないことを危惧もしている。三首目は、震災後の福島を訪ねての属目である。震災によっていっそう寂れてゆく地方の局面が鮮やかに切り取られている。この作者のなかには現代社会の変容の現場に立とうとする強い衝動が働いているようだ。
 
今ここに自分がいることは、ほかのどこにも自分はいないということであり、また今、自分が見ている風景があるということは、それ以外のどんな風景も自分は見てはいないということだ。そういう身体の限界をこの作者は痛感しているのではないか。
 
この町からどこへも行けず菊をつくり蘭を咲かせて二百歳なり    
 
私たちは多かれ少なかれこうした時空間の制約の中にしか生きることはできない。作者は日本中を旅し、丹念にそこで出会った光景や人の暮らしを詠んでゆく。そこには見果てぬ自由へのせつない希求があるようだ。またそういう叙情性が短歌定型というささやかな形式のなかで美しく響いている風景は幸福とも思える。
 
きんぽうげこの世をおのが花びらのなかに捧げるまでにかかがやく