眠らない島

短歌とあそぶ

たなかみち 第二歌集 『具体』

休止符のやうな曲線立たしめて死よりも静かに青鷺一羽   
 
たなかみちさんは尼崎在住の歌人であり、兵庫県歌人クラブ幹事をなさっている。歌は、歌人クラブの会報や年間歌集などでお見かけしてきたが、とても平易な言葉のなかに清冽な抒情が感じられる作品が多く、もっとたくさんの作品をまとめて読みたいと思っていた方だった。このたび第一歌集から十五年ぶりに第二歌集が出版された。期待を裏切らない充実した歌集であり、学ぶべきところがたくさんあった。あとがきを読むと「初歩の頃より指導を賜っていた三宅霧子」とあり、あっと思った。三宅霧子は確か『未来』の代表的な古い歌人であり、現在選者をなさっているさいとうなおこさんの母君である方だ。同じく後藤直二にも師事されていたという。私の所属する『未来』に縁の深い歌人だったことを知り、ますます親近感を抱くことになった。
 
冒頭に引いた歌は、見事な写実詠である。青鷺の姿を「休止符のやうな曲線」と斬新な喩で描きその無言のたたずまいを見事に捉えている。第四句ではさらに青鷺を風景のなかに戻して「死よりも静かに」とすることで青鷺というひとつの命の聖なる孤高にまで届いた表現になっている。青鷺だけに焦点をあわし、空間の雑音を消し静謐で緊張感のある一首に引きつけられた。アララギの流れを見事に受肉されていることに感嘆した。
 
ただ、この歌集はこういった集中した写実歌もあるが、題材は豊富であり、身巡りの風景、事物、家族、歌友とさまざまな関係が登場する。十五年という長い歳月のなかから選りすぐられたこともあろうが、どの歌にもついたちどまらせる新鮮な着想が読むものを飽きさせない。歌集のタイトルの『具体』に示されているように、作歌姿勢は鮮明であり歌はたしかな具体が背景にあり、地に足が付いている。
 
校門に少年少女駆け込むをセロリのやうな雨脚が追ふ   
大楠に走り寄りたる園児らの影法師みな盗まれにけり    
 
一首目、にわか雨が降り出したのだろうか、登校途中の生徒達が校門に急いで駆け込んでゆく。雨の中の後ろ姿を「セロリのやうな雨脚が追う」と動きを捉えてスケッチする新鮮な感覚に魅せられる。少年少女たちのすらりと伸びた足をセロリとするのではなく、少しずらして雨脚の喩としたことで風景に香りが立つように感じ、思わずため息をついた。また、二首目もとても印象的な作品である。大きな樟の木陰に包まれる園児らのすがたを「影法師みな盗まれにけり」と大胆に言い切っているところがとてもすがすがしい。大きな楠の存在感と園児達の愛らしさを過不足ない言葉で描いている。こうした、温かな他者への思いの歌にほっとしていると次のような歌にも出会う。
 
下校時の辻ごとに立つボランティアを安全な人と教へていいよね  
被告席に罪状認否なすごとくをみなが自歌を解きはじめたり   
 
一首目、小学生の登下校時の風景であろう。子供の安全を守るため、地域から多くのボランティアの方が通学路に朝早くから立っておられる。そのボランティアの方を「安全な人と教えていいよね」と問い返すのは、どうだろう。ここには世間の通念と安易に同調はしないという作者の冷静な認識が垣間見える。また、二首目、歌会の席だろうか。自分の歌について聞かれもしないのに、歌の背景をあれこれと注釈しはじめる参加者はたしかにお目に掛かることがある。提出した歌はすでに俎上に上がっているのだから、こういう態度は言い訳がましくて聞くに堪えない。しかし、それをわざわざ歌にして、しかもかなり辛辣に表現している。こういう毒を含んだ視線で常識的な見方を壊してゆく歌が随所にあり、読むものを飽きさせない。公平に物事を見ようとする姿勢がとてもさわやかで歌集全体が生き生きと弾んでいるようだ。これは、この作者の一筋縄ではいかない深い人間洞察の眼力に支えられているのだろう。こういう多様であるうえに、冷徹な見方を獲得していることで、平板になりがちな家族詠も深い印象を読者に与える。
 
老親にありがたられてゐるうちにつまらなき女となりてゆくらし  
狂ひたる親子がをると視られゐむかあさん行かうよあの桜まで 
 
一首目は、高齢の親の介護に携わらなければならない時期の鬱屈をありにままに吐露していて、きれいごとではない主体の切実さが残る。二首目は、看取りの歌である。手放しの悲しみ、母親への愛惜の念を強い言葉で詠みきった絶唱と思う。「狂ひたる親子」という悲痛な初句から、結句の「あの桜まで」という美しい決着点との振幅が主体の悲しみの大きさをあますところなく伝えていて胸を打つ。事物に即して正確に描写する鋭い観察力と描写の技は最初の歌に見たとおりだが、この作者のなかには見えるものの向こうにさらに深い世界を透視する憧憬のような泉があるように思う。それが歌を遠い、豊かなものへと解き放っている。
 
冬海の波は心に打ち寄せてとんでもないこと言ひ出しさうだ