『葛原妙子論集』 現代短歌を読む会編
「現代短歌を読む会」から葛原妙子論集が出た。前回の山中智恵子論集の刺激的な論考が記憶に新しい。冊子の表紙には尾崎まゆみ、彦坂美喜子、山下泉、吉野亜矢、楠見朋彦の五名の名前が並んでいる。難解派といわれる葛原妙子の短歌をこういった逸材が揃って、時間をかけながら深くゆっくりと読み進めていけるのがなんとも羨ましい。
なによりも驚いたのは、一人の女性の歩んだ時間が、生生と立ち上がってきたこと。「幻視」というよりも「リアル」。命を保つ自らの身体をもてあますような歌にある生命の重たさと肉体の存在感が、年齢と友に変質してゆく様が、その思いの深まりとともに強く響いてきたのだ。
として、このノートを書き起こしている。最初の日付が二〇一二年二月一六日、最終の章が二〇一四年三月二十三日。およそ二年の時間の流れの中で、短歌のモチーフ、そしてその変容をとらえていく。尾崎は葛原の方法を日本的象徴としてとらえ、葛原の精神によりそうように丹念に鑑賞している。心象風景を補強する身体性と描写力に言及しながら、葛原の世界に息づいている「美」の本質に肉薄している。
続いて彦坂美喜子は葛原妙子の表現の基底を支えている思想に重心をおいた論考で、展開がつかみやすかった。
として、葛原の思想の深化を追っている。
葛原が『潮音』の歌論から出発しながらも大岡の批判を契機に、日本的象徴を越え出て、技術的知的操作も認める、自己の象徴主義の理念を確実にしたことがわかるだろう。
こうした明晰な検証を興味深く読んだ。
つづいて山下泉は、『葡萄木立』に焦点を当てていて、緊密で精巧な論考である。巻頭で論の流れを明確にしている。
『葡萄木立』の独自性を、「物の詩」、カトリシズム、母子のモチーフ、文体の性質といった観点から検討し、存在の未生・終末へと視力を凝らした葛原妙子の作品の現代性を考察したい。
この軸からぶれずに、山下の論はさまざまな切り口を提示しながら、葛原妙子が透視という方法で凝視しようとするのが「生のなかの死、死のなかの生」であることを明らかにしてゆく。その追跡のしかたは非常にスリリングである。また、山下は、ここからさらに深く葛原の世界を論じている。山下によって読み解かれていくとき、葛原妙子という歌人の精神世界の豊穣さの全体像がうつくしく展望できたように思えた。
吉野亜矢、楠見朋彦の論も興味深く読んだ。なんとも贅沢な冊子である。